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「いえっ!今来たところです」
「少し落ち着いてお話したかったので、部屋を予約してあるんですよ。そちらへ移動しましょう」
フロントでカードキーをもらい、彼の後ろについて部屋へ向かう。
その間にすれ違った人たちは皆きちんとした上質なスーツやワンピースに身を包み、和やかに談笑している。
シティホテルの中でも上位クラスに位置付けられるこのホテルは、やはり高級感が漂っている。
いたるところに飾られた生花や絵画、そして彫刻も名立たる作家や芸術家のものが多い。
沙月はそういうことには疎いほうだが、以前兄が目にしていた本などで見かけたことがあった。
靴が沈みそうな絨毯が敷き詰められた廊下を進み奥まった部屋の前で足を止める。一条が慣れた仕草で鍵を開けた。
部屋に入るなり照明が点灯し、暗かった内部の全貌が明らかになると、そこは沙月が予想していた部屋とはかなり違っていた。
打ち合わせをするだけの部屋ならそう広さは必要ない。だが、大きなテーブルとソファが置かれたリビングの奥には寝室が二つあり、さらに奥には広いトイレとガラス張りのバスルームがある。
天井には柔らかな光を放つシャンデリアが掲げられ、大きなガラスを隠すレースのカーテンの向こうには高層ビル街が一望できる。
「あの……ここは?」
「気に入ってくれましたか?研修期間はこの部屋に滞在してもらいます。もちろん滞在費はすべて当社が負担しますのでご心配なく」
「いやっ!そうじゃなくて……。話をするんじゃなかったんですか?」
一条は上着を脱ぐと無造作にソファに置き、テーブルに用意されたシャンパンの栓を開けた。
その動作には何の迷いもない。
引き締まった体にフィットしたベストが、彼をよりストイックに見せている。
「――もちろん。とりあえず乾杯でもしましょうか?」
グラスに注がれたシャンパンは繊細な泡を弾かせながら甘い香りを放っている。
困惑しながらも差し出されたグラスを受け取ると、彼は軽くグラスを合わせた。
透明感のある音がして、そのグラスさえも上質な物に見えてくるから不思議だ。いや――事実、高級品なのかもしれない。
「あなたの再就職、そして――再会を祝して」
「再会……?」
嬉しそうにグラスを仰ぐ彼を見つめながら、沙月もゆっくりと口に含んだ。
(美味しい……)
初めて口にした爽やかな喉越しにグラスを何度も傾ける。
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