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大きな荷物はトランクルームに預けてあると、保科に鍵を渡されたのはつい最近のことだった。 最初は戸惑った高級ホテル滞在だったが、日を重ねるうちに慣れてくるから不思議だ。 正面玄関でタクシーを降りた沙月は、ホテルの入口の自動ドアの横に立つ人影に気が付いた。 瞬間、足がすくんだように動けなくなり、カバンを持つ手も震え始める。 沙月の異変に気付いたドアマンが歩み寄るが、それを片手で制止ながら近づく男の姿に息を呑んだ。 「――久しぶりだな」 物腰の柔らかい人当たりの良さそうな声が響いたが、沙月は表情を硬くしたまま返事を返すことはなかった。 高級ブランドのスーツに身を包んだ、端正ではあるがどこか女性らしい雰囲気をもつ兄――芝山(しばやま)(いずみ)がそこにいた。 沙月と同じ柔らかい栗色の髪が、ビルの間を吹き抜ける風に揺れている。 奥底に秘めた冷たさを隠すような黒い瞳が沙月を射抜く。 「随分と探したよ……。この街にお前がいるという噂を耳にしたものだから、急に話がしたくなってな」 「――何も話すことは、ない」 「そう言うなよ。少し時間あるか?」 泉は沙月の返事を待つことなく腕を掴むと、地下駐車場へと続くスロープを下りはじめた。 有無を言わせないほどの力で掴まれた腕が痛む。 この時間になると地下駐車場への車の出入りは少ない。オレンジ色の誘導灯が照らす泉の姿に恐怖を感じて、沙月は奥歯をグッと噛みしめた。 泉と会うのは何年ぶりだろう。お互いに連絡を取ることもなく、沙月としては兄弟の縁はすでに切れているものだと思っていた。 以前よりも身長も伸び、端正な顔立ちもより美しくなった泉の姿に沙月はため息をつく。 贄家の長男として生まれ、権威ある魔族との婚姻を約束された男とはまるで比べ物にならない。 エリート同士の婚姻は血統を継ぎ、後世までその地位と富が保証される。  毎日ギリギリの生活を強いられている自分とはまるで違う。歩く姿もどこか余裕が感じられる。  湿度の高い地下駐車場の奥に用意された、長期滞在者専用駐車スペースまで歩いたところで泉は足を止めて向き直ると、いきなり沙月をコンクリートの壁に押し付けた。  冷たいコンクリートの壁に押し付けられた背中が衝撃でわずかに痛んだ。 両手を捻りあげられるように頭上で固定される。それがあまりにも素早い動きだったこともあり、沙月は逃げるタイミングを失った。
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