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ひんやりとした指だった。しかし、それは柔らかく、なぜかホッとする感触に驚き沙月は目を見開いた。 「そうか、芝山家の……」  彼は沙月の頬をそっと包み込むと、風が乱した栗色の細い髪を払いのけながら言った。 「――なぜだろうな。お前と逢うのは初めてなのに、俺の気をざわつかせる。こんな気持ちになったのは初めてだ」 「え?あの……僕もドキドキしてます。あなたも、僕と一緒なんですか?家に帰りたくないんですか?」 青年は綺麗な弧を描く唇を綻ばせて笑うと「そうだな」と短く答えた。 そっと離れていく手に寂しさを感じて、沙月は身を乗り出すように青年を覗き込んだ。 「お前とは少し状況は違うが、俺も面倒な事を抱えている」 「そうなの?」 「――心から想ってもいない相手と家の都合で結婚させられる。こんなことは自分を苦しめるだけだ」 「結婚?好きじゃない人と結婚させられるの?僕は絶対に嫌だなぁ。今は誰も僕を相手にしてくれる人はいないけど、きっと僕を必要としてくれる人がいると信じてるから、その人が現れたら結婚したいな。夢のまた夢だけど……。ねぇ、そんな結婚なんかやめちゃえばいいじゃん!」 沙月はいつもより饒舌な自分に驚きを隠せなかった。 滅多に自分のことを話すことはなかったが、彼の前では初対面であるにもかかわらず自然と口が開く。 彼は優しい表情で、沙月の言葉一言一句を聞き逃さないように耳を澄ましていた。 自分の話を真剣に聞いてくれる人がいることが嬉しくて、沙月の心はいつになく躍っていた。 まだ見ぬ未来の結婚相手の事を想像するだけでワクワクしてくる。どんな人がいいという理想像はない。ただ、一緒にいて優しい気持ちになれる人が良いと切に思っていた。 「そうか……。やめちゃえばいいのか。簡単な事だな」 「うんっ。好きな人と一緒にいた方が絶対に楽しいよ!」 沙月は自分が心から笑いながら話していることに気付かなかった。家では笑うことも無断で話し掛けることも禁じられている。家の外に出れば体面ばかりを気にする大人に囲まれ、ぎこちないニセモノの笑顔を作らなければならなかった。 愛想笑いばかりで引き攣った頬の緊張が解けたように、絶え間なく笑っている。 「――お前は笑っていた方が可愛いな」 そう言われるまで自分が笑っていたことに気付かなかったほどだ。 はっとして、照れたように口元を手で覆った沙月を見つめる彼はとても綺麗だった。
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