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「おめでとうございます。記念にハッピーバースデイでも演奏しましょうか?」
「ありがとう。でも、ハッピーバースデイよりも、さっき演奏していた曲をもう一回リクエストしてもいい?」
「ポルカですね。いいですよ。」
「どこかで聞いたことがある気がして。」
「昔の、有名な映画の曲ですから。ほら、豪華客船が沈むやつ。」
そこまで言うと、仲間に声をかけて演奏の準備を始めた。
あの映画か、と奈緒子は一人納得する。
「もう一杯いかがですか?」
店主が話しかけてきたので、今度はリストの文章をしっかりと読んでみる。先程のビールには『チョコレートのような芳香を感じさせる』とあった。
あの苦さも、ハイカカオのチョコレートと言われてみると、そうだったような気がしてくるから不思議だ。
「同じものを下さい。」
再びグラスと瓶が運ばれてきたのと同時に、また演奏が始まった。
素っ頓狂に明るいポルカが、チョコレートのビールが、奈緒子の心を晴れやかにしてくれる。
私のこの恋も、チョコレートみたいだったのかも。甘いだけじゃなく、苦いだけでもなく。
奈緒子は思う。
記念すべき三十歳の誕生日。あの映画を見てみよう。そして壊れた恋の欠片を集めて、前に進んでいこう。何も失ってなどいないのだから。
目の前のグラスを指先で撫でながら、奈緒子は小さく微笑んだ。
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