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案外あっけないものなんだな。
一度もこちらを振り返らずに、ホームへと続く階段を昇っていく、翔平の背中を見送りながら、奈緒子はぼおっと考えていた。
三十歳の誕生日の前日、つまり二十代最後の日に翔平からデートの誘いを受けたのは、同僚と食事中の昼休み、突然の電話でだった。
金曜日とはいえ、平日にそんな電話がかかってくるのは珍しいことだ。元々、翌土曜日は朝から会う約束になっている。
恋人からの急な、しかも切羽詰まったような声色に、もしかして、と考えなかったわけではない。
月末なのに珍しく、残業もせずいそいそと帰り支度をする奈緒子を、同僚たちもニヤニヤしながら見送ってくれたのだ。
翔平の乗ったであろう電車の発車を知らせるベルを聞き、ようやく奈緒子も隣のホームへ続く階段へと向かった。
週末の、午後十時過ぎという時間もあり、難波駅には陽気な空気が充満していた。顔を寄せ合って語らう恋人たち、酒臭い息をした中年のサラリーマンたちの馬鹿笑い。
それらの間を足早に通り過ぎて、奈緒子は電車に飛び乗った。
席は疎らに空いていたが、奈緒子は扉近くに立ち、つり革を握りしめた。夜の街を切り取る窓ガラスに映る、自分の顔を睨みつける。
そうやって目に力を込めていないと、涙がこぼれそうだった。
今、泣いてしまっては、私、これ以上ないくらい可哀想になってしまう
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