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[46. 高校3年・秋①【優斗】]
シーセント代表会議が終わり、守護対象者とその親衛隊長たちが続々と大会議室を後にする中、僕は隣に座る蒼へと視線を移した。
「蒼、少し時間をもらえないか?」
手元の議事資料を親衛隊長へと手渡していた蒼が、チラと僕を見やる。
「――青島。乾隊と西城隊の警護隊員を除き、このフロアーから全員を退出させろ。警護隊員はエレベーターホールにて待機」
「はい」
一礼して青島が去った後、僕も背後に目を向け親衛隊長の内原へ指示を出す。
「我が隊も蒼の指示通りに」
「かしこまりました」
重々しい音を立て大会議室の二つの扉が閉められる。
「……もうすぐ生徒会役員としての僕らの役目も終わるね」
2週間後に新役員の選挙が行われ、その後は引継ぎ業務を残すのみとなる。
この場に落ちる沈黙の中に言葉にならない様々な感情が含まれている事を、僕らは互いに理解している。
この国で最も巨大な権力を持つ、西城家と乾家。その嫡男として僕らが同じ年に生を受けた事には、不可思議な因縁めいたものさえ感じてしまう。
幼い頃から自分は人々の上に立つ人間で、直系の親族である父母、妹、祖父母だけが同等の存在であると認識していた僕にとって、蒼との出会いは衝撃だった。僕の命令によって動くのではなく、互いに対等の立場で意見を交わし、行動を共にできる他人。そして、自分が背負わされている重荷――道徳や善悪を捻じ曲げても一族や組織の利益を優先すべきという思考、指導者としての非情さを身につけ、常に正しい判断を下さねばならない責任、自らの立場にふさわしい能力と成績を要求され続ける重圧――それらを分かち合うことのできる唯一の相手が、蒼だった。
「この2年間、君と一緒に生徒会の仕事ができて、とても楽しかったよ」
敵同士である僕らが協同する事を許された例外的組織、それが生徒会だった。
「次期会長は尾崎君だろうね」
「会長、副会長は、尾崎と富岡の二人で決まりだろう」
僕の言葉に蒼が同意する。
来年度の生徒会は体制重視である宇津木派と末兼派が多数を占める。そして、これまで2年間にわたり僕らが改革してきた生徒会のシステムは、徐々に派閥主義が蔓延する元の組織体制へと逆戻りしてしまうだろう。西城と乾という二大権力を持ってしても、卒業後も学園に影響力を残し続けることは難しい。学園の変革を維持していくためには権力以外の"何か"が必要だったのかもしれないと、僕はそう思い始めていた。
「――僭越である事は承知の上で、君に言っておきたいことがある」
二人だけで相対することが可能なこの場所で、僕は彼に伝えねばならない事があった。
「君の隊の杉下薫だが、……彼は危険な存在だ」
無言のまま、蒼が真っ直ぐに僕を見返してくる。
「……気づいていたのか!?」
眼前の揺らがぬ視線は、彼がその事実を知っていることを物語っていた。
「では、なぜ彼を取り立てる? ……なぜ、山崎君を傷つけるようなことをするんだ!?」
静流の名が出た瞬間、蒼の瞳に動揺の色が走る。
「……まさか、山崎君を手放すつもりなのか?」
あれほど君を愛し抜く彼を。
君だけに全てを捧げてきた彼を。
僕がどれほど望んでも得られなかったものを、君はそんなふうに簡単に――。
「……静流は、俺から離れるべきだ」
小さく呟く。
「俺のそばにいるべきじゃない」
繰り返す言葉から抱く葛藤が零れ出している。杉下の存在こそが、蒼にその決断を下させたのだと、その時、僕は気づいた。
人の情は忌むべきものだと教え込まれ、自分の存在意義は乾家のために生きる事なのだと刷り込まれ続けてきた蒼は、乾という巨大な十字架に縛られ、初めて手にした愛さえも捨てようとしている。
彼が背負う宿命を理解できるのは、おそらくこの世界で僕だけなのかもしれなかった。
「……他の人間に奪われていいのか?」
視線を逸らしていた蒼が、ハッとしたように僕へ視線を戻す。
「静流が、君以外の人間を愛してもいいのか?」
蒼の目の中に激しい感情が沸き立つのがわかる。
蒼。君は、静流が他の誰かを愛する姿を見る事に耐えられるのか?
「僕は、相手が君だったから耐えてこれた……」
嫉妬、渇望、怒り、絶望――愛する者を奪われるありとあらゆる苦悩を、君はこれからその身に刻んで生きていかねばならない。
「入学式の日からずっと、僕は、静流だけを愛してきた」
これまで僕がそうしてきたように。
******
「――静流」
資料室の施錠を解き、今まさに室内に入ろうとする静流へ声を掛ける。
「西城様!?」
驚いたように振り向いた静流が、緊張した面持ちで僕を見つめる。
「驚かせてすまない。君と二人で話がしたかった。……だから、君がいるだろう場所を調べさせた」
不安げに静流が周囲へ視線を巡らす。
「安心していい。誰にも見られないように警護隊がこの周囲を封鎖している」
「……どうぞお入りください」
そう言って静流がドアを開けると、爽やかな微風が頬を撫でる。
入口から対角線上にある左端の窓がわずかに開かれ、カーテンが風にそよいでいる。右手一面は天井まで届く書棚、左側の開けた空間には椅子や机が整然と並べられている。
背後で静流が施錠したのを確認し、僕は静流に向き直った。
「君の身に危険が迫っている。それを知らせたかった」
静流が厳しい眼差しで僕を見つめる。
「これ以上、杉下のことを調べるのはやめた方がいい」
「……西城様は、何もかもご存知だったんですね……」
僕の横を通り抜けて窓際へと進み、カーテンの隙間から覗く自治施設棟に目を向ける。
「僕がどうやってこの部屋の鍵を手に入れたのか。この場所で何をやってきたのか。……乾様から見捨てられたことも、杉下を探るために必死になっていることも……、西城様は全部知っていらっしゃるんでしょう?」
そう、僕は、君が見つめるその視線の先に誰がいるのかも知っている。
君がこの部屋を毎日のように訪れる理由――眼前に位置する自治棟の生徒会長室で、執務にあたる蒼の姿を見つめ続けていることも。
「全てご存知なら……」
僕の方に向き直り、静流が言葉を続ける。
「お願いです。乾会長に杉下の事を伝えて下さい。彼が身分を詐称してこの学園に入学している事を。……あいつは、何か目的があって会長に取り入っているんです! だから、西城様から乾様へ――」
「蒼は気づいている」
「え!?」
静流が呆然と僕を見つめる。
「蒼は、杉下が名前も身分も偽っていることを知っている」
「そんな……」
「それを知った上で、蒼は彼を自分のそばに置いているんだ」
「そんなはずありません! ……乾様は、あいつに騙されているんです」
「杉下の事を調べたのなら、君も気づいただろう? 彼には手出しをしない方がいい」
静流がゆっくとり首を振る。
「あいつは乾様に害を為す人間です。……僕は乾様を守ります」
思いつめたような表情でそう言うと、ドアの方へと歩き出す。
「――静流」
ドアを開け、去って行こうとする静流を呼び止める。
「君に伝えたいことが、もう一つある」
僕の言葉に静流の足が止まる。
「僕は、君をずっと見てきた。……入学してからずっと、蒼のことを深く愛する君の姿を見てきた」
静流の元へ、ゆっくりと歩を進める。
「君がどれほど蒼を愛しているか、その愛を貫くためにどれだけ傷ついてきたのか、僕は知っている」
手を伸ばせば抱きしめられる距離に静流がいる。
「入学式の日、桜の木の下で君に出会ったあの瞬間から、僕は君だけを見てきた」
君に触れたい。
目の前の小さな肩を抱きしめたい。
「この3年間、君以外の誰も目に入らなかった。……きっと、この先も君だけに惹かれ続けるだろう」
静流の肩が微かに揺れる。
「……僕は乾様のものです。それは、西城様が一番ご存知のはずです」
小さな声で静流がそう告げる。
そう、君の心はずっと蒼のものだった。ただのひと時も欠ける事なく。
「蒼を愛するその心ごと、君を受け止めたい。……たとえ親衛隊隊則に背くことになっても構わない」
「駄目です、西城様。それ以上、おっしゃってはいけません」
振り向かぬまま、静流が何度も首を横に振る。
「僕は、君を愛している」
無邪気に僕に笑いかけた、あの夜の君を。
粉雪を身にまとい息を弾ませていた、あの日の君を。
汚泥の中へと堕ちて行くように、自らの心と体を傷つけ苦しんできた君を。
ゆっくりと振り向いた静流が、静かに僕を見つめる。
「いけません。貴方は……」
静流の瞳は深い悲しみに満ちている。
「どうか、貴方だけは、……いつでも惑うことなく、真っ直ぐに――」
静流。
君は、孤独の闇の中で僕の心を照らしてくれる光。
どれほど深い罪の沼に落ちたとしても、ただ君だけが、たった一つの僕の光なんだ……。
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