第5部 Last Piece [現在]

1/15
1183人が本棚に入れています
本棚に追加
/344ページ

第5部 Last Piece [現在]

[48. 山崎隊 ] 「静くん! お父さんとお母さんが……!!」 駆け寄った姉が僕の腕にすがりつく。 「お父さんが、人を、殺したって……!」 泣き腫れた姉の目は虚ろで、掠れた声が小刻みに震えている。 「……お母さんも、行方不明で……」 僕のせいだ。 僕が、自分のことしか考えていなかったから。 「二人とも……自殺したかも、しれない、って……!!」 危険を知りながらも、杉下から手を引こうとしなかった僕のせいで――。 ****** 「山崎様!? 大丈夫ですか!?」 写真の中で微笑む杉下は、美しくあどけない15歳の少年にしか見えない。だが僕は、本当の彼を知っている。 憎しみと嫌悪に満ちた彼の禍々しい瞳の色を。 (「あんたは自分がいるべき底辺社会へ戻るんだ。そして、二度と僕の目の前に現れるな」) 1年半後に入学してくるはずの杉下が、こんなにも早くこの学園に姿を現した事実は、運命のシナリオが急激に変わり始めた事を示している。 この先は、かつて僕が体験した未来とは異なる、予測のつかない局面が待ち構えているだろう。 「顔色が真っ青です。医務室に行きましょう」 「いえ、少し休めば大丈夫です。……それよりも、部隊長を招集してもらえますか?」 「え?」 「緊急で会議を開きたいんです」 杉下が現れたのならば、もう一刻の猶予も無い。 今すぐに手を打たなければ取り返しのつかない事になる。 「しかし、お体の具合が――」 しゃがみ込む僕を支えるために肩に手を回す長友さんへ顔を向ける。 「お願いします」 至近距離で視線がぶつかり、心配そうに僕を覗き込んでいた長友さんの表情が、一瞬で厳しく険しいものへと変わる。 「……わかりました。すぐに召集を掛けます。ですが、まずはソファで横になって下さい」 そう言って、ゆっくり僕を立ち上がらせると、そのまま右手のソファへ誘導する。僕がソファに体を横たえたのを確認した後、内線電話の受話器を取り上げた。 「長友だ。これから緊急幹部会を開く。部隊長全員を小会議室へ集合させろ。……何分後に開始できる?……わかった。……あぁ、頼む」 受話器を置き、僕を振り返る。 「30分後には始められます」 「ありがとうございます」 今度こそ失敗しない。 家族を、そしてこの世界で出会った大切な人達を、僕は必ず守る。 ****** 「これから話す事は、皆さんにとって信じられないような内容だと思います。いろんな疑問を抱かれるでしょうし、証拠を示してほしいと思われるかもしれません。……ですが、今回の件については、どうしても全てを明かすことができない理由があって……、ただ僕の言葉が真実だと、そう信じていただくしかありません……」 小会議室に集まった5人のメンバーを見回す。 「皆さん、力を貸していただけますか?」 「もちろんです」 僕の問い掛けに、長友さんが間髪入れず返事を返してくれる。 「ここにいる幹部はもちろん、山崎隊の親衛隊員は皆、山崎様のお力になりたくて入隊した者たちです。どんなご命令でも喜んでお受けします」 「そのとおりです。そもそも守護対象者っていうのは一方的に命令を下すだけで、理由とか証拠とかいちいち提示したりしないものですよ」 寺田先輩がそう言ってにっこりと笑う。 「まぁ、そういう守護対象者らしからぬところが、山崎様の魅力なんですけどね」 今の僕には、こうして共に戦ってくれる仲間がいる。そう思うだけで強い勇気が湧いてくる。 「ありがとうございます」 「山崎様、俺たちに対して頭を下げないで下さい。――って、これ、室井様と川瀬隊長がいつも言い合ってるやつですね」 頭を下げた僕への寺田さんの返しに全員が笑い出し、緊張した空気がほぐれていく。 「山崎様を支えるために我々はここにいるんです。いつでも私たちの力を使って下さい」 進藤先輩のその言葉に、全員の気持ちが一つになっていくのを感じる。 僕はもう一度、この場に集う部隊長達の顔を見回した。 長友隊長、北方副隊長、寺田交渉部長、進藤諜報部長、久米侍従部長。優秀な人材がひしめくこの学園の中でもズバ抜けた才能を持つこの人たちが、僕を支えてくれるのだ。 「――今月末に杉下薫という生徒が1年に転入してきます。皆さんご承知のとおり、この時期に海聖学園が転入生を迎え入れるというのは異例です。ですから、全親衛隊が彼の調査を行うだろうと思います。ですが、彼の真実の姿を探ることは容易ではありません。普通に調べたら、彼の調査結果は完全な"白"。傷一つない経歴が出てきます。ですが、それらは全てフェイクです」 言葉を切って、進藤さんへ視線を向ける。 「進藤諜報部長。例えば、この世に存在しない架空の人物を作り上げるとして、その人物の家族や友人など周囲の人間に関するデータも同時に捏造したりしますか?」 「普通はしませんね。……実際には存在していない人間――俗にいう"幽霊"っていうやつですが、これはスパイ活動の基本ですから、いくらでも偽造します。偽の身分証を発行するとか朝飯前ですし、死亡している人間の戸籍を使って成り代わったりする事も可能です。ですが、幽霊の周囲の人間まで作り上げるっていうのは聞いたことがないですね。かなりの時間と手間を要する作業ですし、対象者が未成年なら一親等くらいの血縁者に限っては必要な場合もあるでしょうが、それ以外はかなりレアなケースだと思います」 その回答に僕はうなずく。 「進藤部長がおっしゃるとおりだと思います。普通のスパイなら、自分の身分が怪しまれない程度の捏造だけできればいい。……でも、杉下薫の周囲には、両親だけでなく親戚、友人、知人に至るまで、数百名にも及ぶ"幽霊"が作り上げられているんです……」 「それは本当ですか?」 進藤部長の口調が厳しいものに変わっている。 「はい」 「だとしたら、ただのスパイじゃないですね」 「はい。それに、彼の事を調べようとすると、全て情報が相手側に漏れるようになっています」 考え込むようにうつむく進藤さんの横から、寺田さんが僕に問い掛けてくる。 「山崎様は杉下を知っていらっしゃるんですね?」 「はい。……でも、僕が彼を知っているという事を、杉下の方は知りません」 「顔見知りではないが、彼を調べた事がある、ということですか?」 「はい。……以前、知人が杉下から被害を受けた事があって、その時に彼の身上調査を行ったことがあります。でも、先ほどお話ししたように、こちらが彼を調査した事は相手方に筒抜けで、そのために知人は杉下から報復を受ける結果となってしまいました。……進藤部長、相手の組織に悟られずに、杉下の正体を探ることは可能ですか?」 僕の質問に、思案気に腕を組んでいた進藤さんが顔を上げる。 「可能です。相手は敵の侵入を前提にプログラムを構築していて、システム内に膨大な数のトラップを仕掛けているんでしょう。……となれば、こちらは侵入時にトラップを逆探知しながら偽の痕跡を残し、逆にこちらから罠を仕掛けてみます。まさか自分達の方がトラップを掛けられるなんて、相手側は考えてもいないでしょうから。……万一、追跡システムに引っ掛かった場合は海外サーバーを複数経由して逃げれば――、この辺りは久野の得意分野なので、相談しながら作戦を練ってみます」 かつて僕に協力してくれていた乾隊諜報部の浪島君も、ITによる諜報活動で相当の腕前だと聞いていたが、進藤部長の言動を見ていると桁違いの凄さを感じる。 「くれぐれも気をつけて下さい」 「はい。表向きは通常の諜報活動を行います。そちらの方は敢えて敵側に見つかる程度のハッキングにしておいて油断させ、本命の方は、とにかく危険を冒さないように丁寧に時間を掛けて糸口を見つけ出すようにします」 「お願いします。――それから、寺田部長にお願いがあるんですが」 視線が合った寺田さんが真剣な眼差しを向けてくる。 「以前、杉下を調査していた知人ですが、……杉下が手を回して家族が事件に巻き込まれる結果になりました。ですから、僕たちだけでなく周囲の人にも危険が及ぶ恐れがあります。学園外にいる家族を守る方法はありますか?」 「そんなにヤバいやつなんですか……。わかりました。山崎隊幹部の家族全員に警護を付け、周囲で怪しい動きが起きないか目を光らせるようにします」 学園内のあらゆるルートにコネクションを持つだけでなく、学園外部にも多くのネットワークを有しているという寺田先輩の存在は、僕にとって何より心強いものだった。 「久米もこれまで以上に山崎様の周辺警護をしっかり頼む」 「はい」 久米さんにそう告げた長友隊長が、僕の方へと向き直る。 「山崎様、杉下が我が校に転入してきた目的は何だと思われますか?」 「……わかりません。でも、おそらく彼はオーバーブルームだと思います」 (「あんたもトリプルAを取ったんだってね。それを聞いて、この学園に来ようと決めたんだ」) 少なくとも、あの時の彼の目的の一つは、この僕だった。僕を学園から追放する事。 だが、今の僕はオーバーブルームではない。 (「……君は一体、何者なんだ?」) (「あんたと同じさ。偽りの姿で他人を欺き、彼らの心を自在に操る」) 「どんな組織が何の目的で彼をこの学園に送ったのかはわかりません。ですが、杉下は誰かに取り入るために此処へやって来たんだと思います」 「だとしたら、乾様か西城様のどちらかがターゲットという可能性が高いですね」 僕の返事に長友隊長がそう分析する。 「なぜですか?」 「非常に高度な作戦を実行できる組織が、たかが高校生を懐柔するためにオーバーブルームを送るというのは現実的ではないからです。……ただし、相手が乾様か西城様なら話は別です。彼ら二人は表面上は高校生に過ぎませんが、実際は巨大財閥の後継者であり、すでにグループ内で重要な人事案件やプロジェククトの采配に関与してますからね」 「なるほど」 杉下が入隊を希望する親衛隊がわかれば、ターゲットはおのずと判明する。 以前と同じように乾様を狙うのか、それとも西城様か……? 「杉下の事を西城隊と室井隊に知らせますか?」 寺田部長の質問に、僕は首を横に振った。 「いえ。現段階で根拠となるのは僕の曖昧な話だけです。これだけの情報で他の隊に注意を促すわけにはいかないでしょう」 「確かにそうですね。根掘り葉掘りいろいろ聞かれても面倒ですし」 「それに、杉下とやらがオーバーブルームだったとしても、西城様と室井様は色仕掛けごときには引っ掛からないですよ」 寺田さんの言葉を継ぐようにして、長友隊長がそう断言する。 「どうしてですか?」 「杉下より何千倍も魅力的な山崎様がそばにいるんですから、他のやつに目移りなんてするわけないじゃないですか!」 「何千倍って……」 呆れる僕の横で、長友さんが真剣な口調で熱弁する。 「いや、何万倍、何億倍、何兆倍……えーっと、その先は何でしたっけ? カイとかケイとか――」 大真面目に言っているらしい事がわかるだけに、恥ずかしすぎて何も言えなくなる。 「一番危ないのは乾様だと思いますが、まぁ、あの方も実は山崎様にご執心そうだし。……となると、静流ちゃんに対抗しようという杉下の浅はかな目論見は、既に無理ゲーなわけで……」 僕と長友さん以外の全員が笑いをこらえている。 「長友隊長……」 「何でしょう?」 「長友隊長は僕を買いかぶりすぎです」 「そんな事ないですよ! ――な、久米!」 「はい」 突然話を振られた久米さんが、動揺のかけらも見せずに短く応じる。 「我らが守護対象者には、どんなオーバーブルームもかないませんよ」 寺田さんまで長友さんみたいな台詞を口にする。 「寺田部長まで、そんな事……」 「いや、長友隊長の言葉は隊員全員の気持ちを代弁してくれてます。……山崎様ご自身は気づいていらっしゃらないのかもしれませんが、俺たちは山崎様から強いパワーをもらってるんです。以前、俺たちを前に山崎様はおっしゃいましたよね。この学園にいる生徒達は因習と法規にがんじがらめに縛られてる、って。そして、そんな海星聖明を変えたい。生徒達が自分の将来を自由に決めることができる、そんな場所に変えたい、そうおっしゃいました。……最初は、卒業までの1年間を無謀な夢に乗っかってみるのも面白いと、その程度に思ってました。でも、今は違います。山崎様は確実にこの学園に新しい風を吹き込んでいます。そして、その風は室井隊や西城隊を巻き込んで勢いを増し続けてる。これまで誰にもできなかった奇跡を山崎様は起こそうとしてるんです。そして、その奇跡をこの目で見て、力を投じることができる幸運に、俺たちは言葉にできないほどの喜びを感じてます。……俺たちは山崎様を心から誇りに思ってるんです。だから、山崎様もご自分が持っている力を信じて下さい」 あの頃の自分とは違うのだと、ここにいる仲間達が教えてくれる。 時間を遡る前の僕は、誰も信じず、ただ自分の力だけで道を切り開こうとした。 本来は仲間同士であるはずの乾隊内部の醜い権力闘争や、僕を陥れようとする侍従部員達の敵意を受けながら、疑心暗鬼に囚われ他人を信じることができなくなっていたからだ。そして、人を騙し、裏切り、懐柔していく中で、次第に自分自身さえも信じられなくなってしまった。 僕は選ぶべき道を間違ったのだと、今ならはっきりわかる。 始まりは、あの時。 (「私は君にチャンスを与えることができる。乾会長の愛を独占するためのチャンスだ」) 坂上諜報部長との――。 (「私は心から乾様を敬愛している。……だが同時に、ひどく憎んでいるのかもしれない……」)
/344ページ

最初のコメントを投稿しよう!