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[50. 安らぎ ]
侍従部が用意してくれた夕飯を温め直していると、部屋のドアが開き入室者の気配がした。
「ただいま」
入り口の方から伸の声がする。
「おかえり!」
返事をしながら台所を離れると、リビングに伸と川瀬さんが入ってくる。
「ちょうど夕食の準備してたとこだけど、伸もすぐに食べれる?」
「食べる、食べる! マジで腹空きすぎてヤバいんだよ」
荷物を置きに個室へと向かう伸の背中を見送った後、
「よろしければ川瀬さんもご一緒にいかがですか?」
と聞いてみる。
「ありがとうございます。ですが、侍従部が部屋に夕食を用意してくれていますので」
「じゃあ、お茶だけでも召し上がっていって下さい」
「お気遣いありがとうございます」
インターハイで3年生が引退した後、伸はバスケ部の新キャプテンに指名され、新人戦大会、ウィンターカップ予選と毎週のように続くハードスケジュールをこなしている。
今日行われた新人戦支部大会には室井隊の隊員達も総出で応援に参加していた。
「なんか手伝おうか?」
180㎝超えの伸が台所に入って来ると、いきなりスペースが狭くなる。
「そこによそおってある分のお皿、運んでくれる?」
「了解」
全ての食事をテーブルに並べ終わり、僕も席に着く。
「いただきます!」
そう言って手を合わせた後、凄い勢いで伸が夕飯を食べ始める。
「僕たちだけ食事をいただいてしまって、すみません」
「いえ、私の方こそ山崎様とお話しさせていただきたくて、お部屋までお邪魔してしまい申し訳ありません」
「今日の臨時合同会議、うまくいったって、中垣副隊長から報告が来たぞ」
箸を止めて、伸が言う。
「うん。無事に執行部全員の賛成を取り付けられたよ」
「今回の議案は全会一致で可決する必要があったからな」
その言葉に僕は小さくうなずいた。
会議上で佐々木会長が指摘したとおり、学園の理事会や卒業生を納得させるためには、生徒会・風紀・反風紀の代表全員から賛成を得たという事実が必要だったのだ。
「更科さんが味方についてくれたのが大きかったよな」
来期の守護対象者の勢力図を見ると、生徒会四役以外でキーマンとなるのは、更科様、甲斐様、御園生様の3人だったが、中でも、乾様と西城様に次ぐ勢力を有する更科様の存在は重要だった。
「更科様が私たちに協力して下さるのは、山崎様を信頼されての事です。今回の成功も山崎様のお力だと思います」
「いえ、更科様ご自身が、固定観念に囚われない大きな器をお持ちの方だからです」
前の世界での更科様は、風紀委員長という大役の留任は権力の集中につながるという理由で、3年時には総寮監の職位を選ばれた。だが、先月の会談で、来期も風紀委員長を務めてほしいという僕の依頼を、更科様は異議無く受け入れて下さったのだ。
「御園生さんが風紀委員長になってたら、たぶん反対されただろうしな」
「うん」
これまで中立派的言動が多かった御園生様だが、シーセント代表会議での発言をみると、明らかに保守寄りの思想の持ち主だ。そして、生徒会執行部の組織改編に反対したという事実は、政財界上層部への現体制支持という強いアピールになる。
「更科さんが風紀委員長になってくれたおかげで、御園生さんは総寮監を選ぶしかなかったわけだし、結果的には全部こっちの筋書き通りに進んだな」
生徒会と風紀は、例えて言えば国の政治と治安を司る立場であり、対する寮監は自治体の長に近く、生徒会運営に対して口出しできる立場ではなかった。
「甲斐様がどう判断されるか心配でしたが、今回の案を支持して下さって安心しました」
「甲斐様が賛成されたのは、乾様が支持を表明して下さったおかげだと思います」
「そうですね。……そして、乾様のお気持ちを動かしたのは山崎様だと思いますよ。ですから、やはり今回の成功は山崎様のお力によるところが大きいです」
「……ありがとうございます」
僕の返事に川瀬隊長が優しい笑みを見せてくれる。
「まぁでも、それを言うなら、僕に乾様を味方につけるようけしかけた伸が一番の功労者かしれませんね」
「そのとおりだな」
食事をどんどん平らげていた伸が、満足げに同意する。
「もちろん室井様の功績も大きいです」
嬉しそうに答える川瀬さんが可愛い。
「川瀬さんって、本当に伸が好きなんですね」
「はい!」
「川瀬さん……照れくさいんで、あんまり褒めないでくれますか?」
二人のやりとりが微笑ましくて、つい笑ってしまう。
――が。
「長友隊長よりは控えめにしてるつもりです」
「それは、確かにそうですね」
「長友隊長の山崎様へ向ける信愛の情は、とにかく凄いと思います」
矛先がなぜかこちらへ向く。
「これぞ親衛隊長の鏡!っていうくらいの忠臣ぶりですよね」
「ええ。時々、長友隊長が忠犬のように見えてきます」
「それ、わかります!」
盛り上がる二人をよそに、僕の方はどんどんいたたまれなくなってくる。
「……あの……その話題は、その辺りで終わりにしてもらえますか?」
「えー、なんでだよ?」
伸が不満そうに言う。
「伸だって、さっき川瀬さんに褒められて照れくさいって言ってただろ」
「それとは違うだろ」
「一緒だよ」
「長友隊長が犬みたいだって話だぞ」
「だから、それが僕に対して、っていうのが恥ずかしいんだよ」
「そうか? 大型犬に懐かれてるみたいでいいじゃん」
「それって、なんだか長友さんに失礼なんじゃ――」
視線を感じて横を向くと、にこにこと楽しそうに川瀬さんが僕らを見ている。
「あの……川瀬さん?」
「お部屋にうかがった時からずっと思ってたんですが、室井様と山崎様って新婚のご夫婦みたいですよね!」
「は?」
川瀬さんのトンデモ発言が今度は僕たちに飛び火する。
「『ただいま』『おかえり』って言葉を交わされるお二人の雰囲気とか、夕食の準備を一緒にされてるご様子とか、今みたいに仲睦まじくお話しされているのを見ると、とてもワクワクしてきます」
「その感想はいろいろ誤解を招きそうなので、他の人には言わないでもらえますか?」
伸がそう伝えると、途端に川瀬さんが残念そうな表情になる。
「幹部会で報告しては駄目ですか?」
「もちろん、駄目です」
「皆とても喜ぶと思うんですが……」
「駄目です」
「……では、非常に残念ですが、誰にも言わないでおきます」
「お願いします」
安堵して無意識に顔を見合わせた僕と伸を見て、川瀬さんが再びにっこりと微笑んだ。
川瀬さんを見送った後、僕と伸はリビングに戻って食事を再開した。
「お祝い言うのが遅くなっちゃったけど、新人戦予選突破、おめでとう」
「支部のベスト8止まりだけどな」
3杯目のごはんを口に運びながら伸が答える。
「充分凄いよ!」
予選を突破した伸達は、2か月後に行われる本大会への挑戦権を得たのだ。
「今日の試合はいろいろ反省点が多かったよ。……再来週から始まるウィンターカップに向けて調整し直しだ」
「あんまり無理しないようにね」
「ああ、サンキュ」
そう答えた後、食事の手を止めて僕をじっと見つめる。
「……生徒会の方、手伝えなくてごめんな」
「ううん、伸だって休み取れないくらい忙しいのに、いつも気を遣ってくれてありがとう。室井隊の人達がいろいろサポートしてくれて、本当に助かってるよ」
「そうか、なら良かった」
伸といると不思議なくらい気持ちが穏やかになっていく。合同会議のために一日中張り詰めていた緊張の糸が、徐々にほぐれていくのがわかる。
「二人で一緒に食事するの、久しぶりだよね」
「そうだな」
2学期に入ってから互いに多忙で活動時間もズレることが多くなり、こうしてゆっくり話をするのは二週間ぶりだった。
「明日の朝練は休み?」
「さすがに大会明けだから、休みにしたよ」
「じゃあ、明日は一緒に登校しようよ」
「いいけど、久米さんが来るんだろ?」
「うん。でも、伸と一緒に行きたいから」
「……」
伸が突然黙り込む。
「どうかした?」
「……おまえ、俺のこと相当好きだよな」
「突然、何言い出すんだよ!?」
「好きじゃないのか?」
「……好きだけど……」
誘導尋問だと心の中で呟きながらも、頬が赤くなっていくのがわかる。
「俺も、好きだ」
向けられた真剣な眼差しに目眩がしそうになる。
「一緒にいられる時間が少なくなってるけど、何かあったら必ず相談しろよ」
「うん」
「一人で抱え込むなよ」
「うん」
「俺だけじゃなく、おまえの事を支えたいって思ってる人はいっぱいいるからな」
伸は、やっぱり昔と同じだ。
僕の事を誰よりも理解し、とても大事に思ってくれる。
「うん、ありがとう……」
そして改めて思い知らされる。
そんな大切な事にさえ気づけないほど、盲目の恋に溺れていたあの頃の自分を。
******
「おはようございます」
ドアを開けると、廊下で僕を待っていた久米さんが挨拶してくれる。
「おはようございます」
返事を返しながら、久米さんの隣に立つ長身の人物へと目を向ける。スラリとした細身の体躯と肩に届く色褪せたような茶髪。制服を着崩し、皮肉げな笑みを片頬に貼り付かせている様子は見るからに反風紀の生徒だ。
「本日から山崎様の警護に入る1年の保坂です」
あと1週間足らずで入学してくる杉下に備え、山崎隊は警護強化のために反風紀メンバーの協力を仰ぐことになっていた。
「――おまえ、こんな所で何やってんだよ?」
背後から低く不機嫌そうな声が響く。振り返ると、準備を終えたらしい伸が部屋から出てくるところだった。
「よう、室井」
保坂という男性が、伸に対して馴れ馴れしい口調で声を掛ける。
「久米さん、どうしてここに保坂がいるんですか?」
「今日から山崎様の警護をしてもらうので」
「なんで保坂が――」
続々と自室から出てくる生徒達が、僕たちをチラチラ見やりながら通り過ぎていく。
「伸、この件は後で話そう」
「……わかった」
僕の言葉に同意の意を示した後、黙って歩き出す伸の背を追いかける。
「保坂君って伸と同じクラス?」
「ああ」
隣を歩く伸の横顔は不機嫌さを隠していない。
背ろを振り返ると、久米さんと保坂君は僕らと少し距離を取りつつ、同じ速度で歩いている。
「伸、怒ってるの?」
僕がそう問い掛けると、ハッとしたように僕の方へ視線を向ける。
「いや、怒ってるわけじゃない。……驚かせて悪い」
「伸があんなふうに反応するの珍しいから、ちょっとびっくりした。……もしかして、保坂君と仲悪いの?」
声を潜めてそう尋ねると、伸が困ったように苦笑する。
「別に仲悪いとかじゃないんだ。……あいつの顔を見たら嫌な事を思い出したんだよ」
「嫌な事って?」
「……あいつ、おまえのこと『すっげぇ可愛い』って言った……」
「え?」
不愉快そうに眉をひそめながら、伸がボソリと呟く。
「部活がなかったら、俺が静流についててやれたのに」
「伸……」
入学式の日、伸が僕に向って保坂君と同じような台詞を吐いた事を思い出す。にもかかわらず、子供のようなダダをこねる伸が可笑しくて、笑ってしまいそうになる。
「長友隊長と北方副隊長の人選なんだから、大丈夫だよ」
「まぁ、そうなんだけどな……」
反風紀に所属している生徒は、長友さん達の不興を買うような事はしない。
「心配してくれてありがとう」
僕の顔をじっと見つめた後、伸が大きな溜め息をつく。
「何?」
「いや、確かにすっげぇ可愛いよな、と思って」
「何言ってるんだか……」
赤くなった顔を見られるのが恥ずかしくて、僕は教室へ向かう足を速めた。
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