第5部 Last Piece [現在]

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[51. 罠 ] 午前の授業を終えると、いつものように久野君が僕の席にやってきた。 「今日から石岡君も警護を手伝ってくれる事になったから」 「あ、そうなんですか……」 振り返り、すぐ後ろまで歩いて来ていた大柄のクラスメイトを見上げる。 「確かに僕だけじゃ荷が重すぎますもんね。……しかし、いかにも適材適所って感じですねぇ」 丸眼鏡の奥の目を細めながら、強面の石岡君を凝視する。 「久野みたいなヒョロヒョロが警護役やってるんじゃ、山崎がいつ襲われてもおかしくない」 値踏みするような視線が不愉快だったのか、石岡君が吐き捨てるように言う。 「あ! 山崎様を呼び捨てにするなよ!」 「いいんだよ、久野君。石岡君はうちの隊に入隊したわけじゃないんだから」 「えー、それでも僕的にはちゃんと敬語使ってほしいです」 不服そうに口を(とが)らす。 「おまえのしゃべり方だって、守護対象者相手って思えないくらい雑だろうが」 石岡君のツッコミに思わず笑ってしまいそうになる。 「そんなこと無いよ! ちゃんと敬語使ってるだろ」 ぶつぶつ言う久野君を無視して、石岡君が僕の方へ視線を移す。 「保坂が来たら食堂へ移動しよう」 その言葉に呼応するかのように、授業が終わったらしい保坂君が後ろのドアから入ってくる。 「じゃあ、行こう」 4人で連なって教室を出ると、周囲の視線が集まるのがわかる。 西城様のパートナーと目される守護対象者が、反風紀のメンバーと一緒に行動しているのだ。皆が驚くのも無理はない。 「しかし、今までよくこんなチビ一人の警護で問題が起きなかったな」 「チビって言うな!」 後ろを歩く保坂君に向かって久野君が怒ったように言う。 久野君と同じくらいの身長の僕にとっても、それは禁句なんだけれど。 「これじゃ、ふたり合わせて食って下さいって言ってるようなもんだろ」 「保坂、さすがにそれは言い過ぎだ」 言い方は悪いが、保坂君の台詞は的を射ていると思う。西城隊や室井隊のバックアップが無ければ、実際そういう危険は十分にあった。 カフェテリアに入ると、石岡君がすぐに4人分のテーブル席を確保してくれる。 「山崎様」 背後から声を掛けられて振り向くと、長友隊長がこちらに歩いて来るのが見えた。相変わらず長友さんが歩くと、その周りの人だかりが潮が引くように消えていく。 「こんな所じゃなくて、ちゃんと守護対象者用の席で食べてください。……おまえたちも気をつけろ」 「申し訳ありません」 長友さんの言葉に保坂君が謝罪し、石岡君も頭を下げる。 「でも、伸と一緒に食べる時も一般席で食べてますし、僕は全然気にしてませんから」 慌てて取りなす僕に、長友さんが困ったように嘆息する。 「山崎様、今がどういう状況かわかってますよね」 「はい」 「注意するに越した事はありません」 「そうですね……」 話している僕たちの横から、頼んでいたメニューが運ばれてくる。 「すみません、これ、ガーデン席に運んでもらえますか」 給仕スタッフに久野君が声を掛けている。 「ちょっと待て」 運び直そうとしていたスタッフを長友さんが止める。 「北方」 「はい」 背後に控えていた北方副隊長がすっと前に出る。僕に向かって小さく一礼した後、席に備え付けられていた空の皿へ、目の前の食事を少量ずつとり分け始める。 「念のため、分析に掛けておきます」 その場にいたらしい山崎隊の警護隊員数名がすぐに駆けつけ、北方さんが取り分けた皿を回収していく。僕らの様子を伺っていた周囲の生徒達がざわつき始めている。 「ガーデンでもう一度オーダーし直して下さい」 「わかりました」 ガーデンと呼ばれる守護対象者とその同伴者だけが利用できる特別席では、複数の有名シェフが専属で調理にあたっている。ガーデンの厨房及び給仕に携わる者は徹底した身上調査を通過せねばならず、出来上がった料理に対しても都度の検査が義務付けられていた。 更科様の夜会で僕が襲われた後、長友さんは以前より僕を取り巻く環境に神経質になっていた。臨時合同会議を終えた今、学園の伝統に対立しようとする僕に対して、敵意を有する者はさらに多くなっているだろう。長友隊長が僕の周囲に厳しい警戒の目を向けるのは当然だった。 反風紀の二人が警護に付いてくれた事で、これまでの緊張から解放され油断が生じていた自分に気づく。 久野君に促されて特別席へと移動しながら、僕は向けられる数多(あまた)の視線の中に悪意の影を感じ始めていた。 ****** 「4人全員の食事から催淫剤が検出されました」 幹部会での北方副隊長の報告に、会議室内がシンと静まりかえる。 「摂取後30分ほどで効果が現れる即効性のもので、あのまま食事を摂っていた場合、性的衝動を抑えられなくなり、4人は学内で淫行を行っていたものと思われます」 背筋を冷たいものが走る。 「……殺す」 長友隊長が地を這うような低い声でつぶやき、次の瞬間、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。 「犯人を見つけて、ぶっ殺す!!」 「風紀へは先ほど立件の要請を出し、すでに捜査が開始されています」 そう告げる北方さんへ長友隊長が鋭い視線を投げる。 「風紀に任せておけるかっ! 山崎様を罠にかけて……淫らな事をさせようなんて……万死に値するっ!!」 般若の形相で怒鳴るその迫力に気圧(けお)される。 「更科様も激怒されておりました。全風紀委員に捜査の命が下り、すでに一般席を担当するスタッフ全員が隔離されて尋問を受けております。――進藤諜報部長、風紀のサポートをお願いできますか?」 「了解だ。直接的な捜査は風紀に任せるとして、サイバー部隊の方に協力を申し出ておく」 北方副隊長と進藤部長のやりとりを横目に、長友さんは怒りを抑えられない様子で拳を握り締めている。 「寺田、犯人の人物像を特定できるか?」 唸るような声音で交渉部長へ問い掛ける。 「……まずは、用意周到な人物。山崎様が一般席で食事をされる可能性は非常に低い。にもかかわらず、今回タイミングを逃さず仕掛けてきた。常に準備を怠らずチャンスを待っていたという事だ。次に、学園内でかなりの情報収集網を持ち、頭が切れる。生徒会執行部の臨時会議からまだ1日しか経っていないのに、反風紀のメンバーが山崎様の警護に入るのを予測して、人数分のクスリを用意し、最も隙ができやすい初日を狙ってきた。ご丁寧に傷害事件として起訴されづらい催淫剤を選んだうえでだ。だが、今回の謀略が成功していれば、山崎様の尊厳は地に落ち、統合室長への着任は不可能になっただろう。同時に、反風紀勢力に対しても大きな痛手を与える事ができる。まさに一石二鳥の策というわけだ。……そして、この犯人の最大の特徴は、山崎様へ強い憎悪と侮蔑の念を抱いているだろう点だ。山崎様を陥れるのに、強制的な性的搾取という手段を取ろうとした。おそらくは、催淫剤によって理性を無くし、男達に犯される山崎様の姿を撮影して、その映像を公開するつもりだったんだろう。粘着質で非常に陰湿だ」 「進藤。寺田の分析結果に基づいて、学園内の生徒及び教職員のデータベースを当たってくれ。……下劣な犯人を絶対に見つけ出す!! 」 「あぁ、山崎様に対する攻撃は、我々全員への宣戦布告だ。必ず後悔させてやる」 進藤諜報部長が厳しい口調で応じる。 「久米は反風紀から選抜した警護メンバーを徹底的に教育して、隊員と同じレベルの危機意識を持たせろ」 「わかりました」 いったん言葉を切った長友さんが部隊長全員へと視線を巡らす。 「それから、来週入学してくる杉下に対しては、今回の騒ぎを逆手に取る。山崎隊はこの事件に全勢力を割いているように見せかけるんだ。やつを調べている事を気取られないよう、今回の捜査を隠れ蓑にして動く」 「杉下の件に関しては、一般隊員には何も知らせていません。彼らには薬物混入の犯人探しに全力を挙げてもらいます。そして、同時進行で特命班が水面下で杉下を探ります」 長友さんの言葉を北方副隊長が補足する。 「各部とも状況報告を欠かすな。今回の事件が解決するするまで、幹部会は週3で行う。――何か質問はあるか?」 承諾の沈黙が落ちる。 「では、解散」 小会議室から部隊長達が退出すると、長友さんが僕を振り返る。 「我々がいたらないせいで、山崎様をこんな目に合わせてしまい本当に申し訳ありません」 「そんな! 長友隊長のおかげで僕は助かったんです! 謝罪なんて――」 「いえ。杉下の件に意識を取られ、反風紀の教育や対立勢力への警戒を怠っていました。……もし、今回の事件が未遂でなかったらと思うと……」 目の前で怒りに震える大きな拳を、僕は両手でそっと覆った。 「僕の方こそ、警戒が必要なことを誰より理解していたつもりだったのに、皆さんに甘えて油断していました。……これから、たくさんの反発や妨害があるだろうと覚悟していたはずなのに、自身の身を守るという最低限の事さえできていなかった自分が、本当に恥ずかしいです」 「万一、山崎様に何かあったら、俺は――」 その後に続く言葉を飲み込み、苦しそうに顔を歪める。 「長友さん、貴方がそばにいて下さるおかげで、僕の心がどれだけ救われているか、言葉では言い尽くせないです……」 どうか僕の思いが届きますように。そう願いながら、僕は長友さんの瞳の奥を覗き込んだ。 「かつて僕は、許されない罪を犯しました。愚かな欲に囚われて、大切な人達を取り返しのつかない状況に追い込んでしまったんです。その時はいっそ死んでしまった方がいいとさえ思いました。……でも、そんな僕が、この世界で生きていてもいいんだと、そう思う事ができたのは、長友先輩達に出会えたからです。……何の力もない僕を引き立て、守り、信じて下さる長友さんから、僕は何度もたくさんの勇気を貰いました。だから、そんなふうに自分を責めないで下さい」 硬く握りしめられていた拳からゆっくりと力が抜けていく。 「山崎様……」 「これからも僕の身に危険が迫る事があるかもしれません。それでも、僕たちは進むことを決めたんです。……本当の自由を手に入れるために」 ****** 寮に戻り、夕食の支度をしていると、玄関の方からノックの音が響いた。 ドアを開け、突然の来訪者の姿に驚く。 「川瀬さん!?」 ドアを大きく開けて室内へと招き入れる。 「伸はまだ部活から帰ってきてませんけど……」 「今日は、山崎様とお話ししたい事があってうかがいました」 リビングのソファへと誘導した後、川瀬さんと対面する椅子に僕も腰を下ろす。 「寮に戻られてからも警護を付けられることにしたんですね」 廊下で待機している警護隊員について、早速質問される。 「はい。昼間の事件があったので、寮の中でも僕一人の時は警護の人が交代で見張りをして下さる事になりました」 「その方がいいですね。……これから山崎様が着手されようとしている事は、それくらい危険を伴うものですから」 珍しく硬いその声音に、僕は思わず背筋を伸ばす。 「はい」 「室井様には事件の詳細はお伝えしていません。大事な大会を直前に控えていらっしゃるので」 夜会で僕が襲われた時も、インターハイの真っ最中だった伸にずいぶん心配をかけてしまった事を思い出す。 「室井様へは、山崎様達が頼まれた料理の中に幻覚剤のようなものが一部混入していたと、そう伝えてあります。一般席で食事されようとした事については室井様の責任もありますので、それほど問い詰められることはないと思いますが、ある程度のお叱りを受けるのは覚悟して下さいね」 「はい」 実際のところ、伸が帰ってきたらどう説明すべきか悩んでいたので、川瀬隊長の心遣いはありがたかった。 「それから、山崎様へもう一つお願いしたい事があり、本日こちらに参りました」 「僕にできる事でしたら何でもおっしゃって下さい」 そう答えると、川瀬さんが安堵の表情を見せる。 「西城様とご面談の機会を持っていただけませんか?」 「え?」 一瞬、耳を疑う。 「なるべく早く、西城様と二人でお話しされる場を用意していただきたいのです」 奇妙な依頼になぜか胸がざわつく。 そして、以前も川瀬さんから同じような申し出を受けた事を思い出す。 (「西城様へ直接お礼を申し上げに行っていただきたいのです」) 逃走ゲームで西城隊が協力してくれる事になった時、川瀬隊長からそう頼まれた。 そして――。 (「西城様は、とてもお優しい方です……」) あの時の遠くを見るような川瀬さんの表情が脳裏に甦る。 「……理由をお聞きしてもよろしいですか?」 僕の問い掛けに、川瀬さんが小さくうなずいた。
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