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[54. 相似 ]
「今日、何かあるのか?」
3限目の授業が終わり、化学室から1-Bの教室へと戻ろうとしている時、石岡君が突然そう尋ねてきた。
「なんか神経質になってるだろ?」
鋭いな、と思う。
「何もないよ! いつもどおりの山崎様だろ!」
慌てて否定する久野君の取り乱した様子が、逆に図星だと答えているみたいだ。久野君はスパイにはなれそうもない。
「……ずっと見続けてきた悪夢が、今日現実になったんだ」
僕は小さな声でそう答えた。
今朝、学園中が時期外れの転入生の話題で持ちきりだった。1年生のフロアに上級生までが押しかけて、美しい転入生を一目見ようと大騒ぎになっていた。
僕は、杉下の写真を目にしたにもかかわらず同姓同名のよく似た別人かもしれないと、あるいは、彼の目的が変化して何も起こらないかもしれないと、この期に及んでそんな都合のいい事を願ってしまっていた。
「そうか」
予想外のあっさりとした答えに、驚いて石岡君を見上げると、
「言えない内容だってことだろ」
さらりと返してくれる。
「うん……」
敢えて追求しないでいてくれる石岡君に感謝する。
長友さんをはじめ反風紀の人達は、一見、学園の体制に反抗する不良集団のように見えるが、彼らの内面を深く知るほど、器の大きさや判断力の確かさに驚かされる。乾隊にいた頃は、現体制からドロップアウトした彼らに関心を持つことはなかったが、山崎隊に力を貸すと決めてくれた彼らのことをもっと理解したいと、僕はそう思い始めていた。
「親衛隊には、いろいろ重要な機密ってものがあるんだよ」
得意げに答える久野君に、石岡君が呆れたような視線を投げる。
「おまえ、それって山崎の気にしてる事は親衛隊がらみだってバラしてるようなもんだぞ」
「えっ!?……いや、そんなことは……!」
「おまえは、なるだけ喋らないようにしろ」
「君ってホント失礼なやつだよな」
石岡君と保坂君が久野君をいじるのは、いまや日課のようになりつつある。
「山崎様もなんとか言ってくださいよ」
「久野君はコンピューターに関しては天才だから、そういうところがあった方が人間的でいいと思うよ」
「……それって褒めてます?」
「もちろん褒めてるよ」
「ほら、行くぞ」
石岡君が不満げな様子の久野君を促し、僕らは再び歩き始める。ようやくB組の近くまで戻って来ると、隣のクラスの前に人だかりができているのが見えた。
「まだ例の転入生にたかってんのかよ」
石岡君が冷めた口調で言う。
「石岡君は転入生を見た?」
ふと思いついて、そう聞いてみる。
「あぁ」
「……どんな生徒だった?」
声が微かに掠れる。
「ちょっと見たことないレベルの美少年だな。……あー、そういえば山崎に似てるな」
「あ! それ、僕も同じことを思いました。彼、山崎様に似てます」
そう言った後に、ハッとしたような顔をして、申し訳なさそうに僕の方を伺い見る。諜報部のサイバー活動で中心的な役割を果たす久野君は、現在、細心の注意を払いながら杉下の情報を探っている。危険人物である杉下を僕に似ていると評した事が、失言だったと思ったのだろう。
(僕に似てる……?)
石岡君と久野君の言葉に違和感を感じる。
前の世界では、僕が杉下に似ていると言われた事などなかったし、僕自身そんなふうに感じた事もなかった。
……ただ、一度だけ誰かにそんな指摘をされた気がして記憶の中を探る。
(「乾様から、杉下君を諜報部との連絡係に任命するようにとの指示がありました。……山崎副隊長も諜報部にいらした時、この任務に就かれてましたよね。……そういえば、杉下君は1年の頃の山崎副隊長に似てますね」)
高校3年の春。幹部会の席で、当時の侍従部長からそう言われた時、僕と杉下を比較して揶揄したのだろうとしか思わなかった。
(「杉下君は1年の頃の山崎副隊長に似てますね」)
(「彼、山崎様に似てます」)
副隊長時代の僕とは似ていなかった杉下が、今、この世界で僕との相似性を持つようになったとするならば、その理由はどこにあるのだろう?
何かが心に引っ掛かるのだが、それが何かわからない。
重要な鍵がそこにあると感じるのに、その場所に手が届かない。
この感覚を、僕はかつて経験したことがあった。
(「君は一体、何者なんだ?」)
(「あんたと同じさ。偽りの姿で他人を欺き、彼らの心を自在に操る」)
「……オーバーブルーム……」
無意識にこぼれた落ちた言葉に、なぜか背筋を冷たいものが走った。
******
「風紀委員の捜査状況ですが、催淫剤を混入した人物を特定し、現在、取り調べを続けています」
薬物混入事件が発生してから1週間が経過した10月末日。部隊長会議は交渉部の捜査進捗報告から始まった。
「犯人の名前は、森分 進 。1年前に学園の総務課が正規ルートで雇い入れた料理人です。採用時の調査では、過去の問題行動、借金、本人及び親戚知人の犯罪歴など、全て無しでした。……催淫剤を食事に混入するよう依頼してきた人間との面識は一切無く、夏休み明けすぐに森分の携帯へ電話があり、犯行を持ちかけられたと供述しています。森分自身に山崎様との関連は無く、今回の依頼で初めて山崎様を知ったそうです。犯行の動機は金で、1年分の給料と同額を支払うと言われ、依頼を受けました。また、学園で働くうちに上流階級への反感が生まれた事、投与する薬物は人体に害が無いと説明された事なども犯行に至った一因だと思われます。その後、電話での接触が数回あり、犯行手順などについて事細かく指示を受けたそうです。森分の携帯電話の履歴については、現在、警視庁と電話会社へ開示要請中です」
「交渉部の報告に関して、質問はありますか?」
交渉部副部長が言葉を切ると、進行役である北方副隊長が会議参加者――長友隊長及び諜報部・交渉部・侍従部それぞれの責任者各4名の計13名――に向って問い掛ける。
「クスリと金の受け渡し方法は?」
進藤諜報部長が質問する。
「駅前のコインロッカーです。ロッカーの鍵は、郵便で届いたそうです」
「クスリの入手も含めて、学園外の人間をかなり動かしてるな。そのうえ、最初の接触から2ヶ月も経たずに実行まで誘導する手際の良さからして、こういう事にかなり手慣れた人間だ」
進藤部長のその言葉を受けて、寺田交渉部長がプロファイリングする。
「そのとおりだ。携帯電話は名義買いの使い捨て契約を使ってるし、金の流れにしても、報酬の半分にあたる200万円もの大金をやすやすと用意して、足が付かないようキャッシュで払ってる。さらに、上流階級に反感を持ち始めた森分を選んだ点から見て、学園外でもかなりの調査能力を持ってる。……これらの事を総合して考えると、裏社会に通じる”兵隊”を配下に有する人間の確率が非常に高い。……犯人は、ハイクラスの生徒、または反社会勢力と繋がりがある教職員の線で、ほぼ決まりだ」
海聖学園でいう”ハイクラス”とは、親が財閥幹部、政治家、武道や伝統芸能の本家筋、旧華族上位などに該当する生徒達の事だ。
犯人像が明確になるにつれ、会議室の空気が険しくなっていく。
これまでの分析によれば、犯人は一般の生徒ではなく、守護対象者や親衛隊幹部クラスの人間という可能性が大きい。それはつまり、妬みや嫌がらせという個人レベルを超え、権力者同士の抗争という大きな問題へ発展する恐れが出てきたということだ。
沈黙が落ちた部屋に、再び北方副隊長の声が響く。
「他に質問がなければ、諜報部からの報告に移ります」
その言葉を合図に、諜報部副部長が起立する。
「諜報部は、風紀のサイバー部隊と協力して、森分進のデータおよび薬物の入手経路について調査を行なっています。森分に関しては自供内容について全て裏が取れました。今回、使い捨てのコマとして利用されただけのようです。また、犯行に使われた催淫剤は裏ルートでしか手に入らない特殊な物のようで、現在、関連暴力団の顧客リストを洗っているところです。報告は以上です」
「クスリを流してるのは、どこの組だ?」
長友隊長が口を開く。
「新宿の菊田組です」
「岸本組系か……」
「はい」
一拍の間を置いて、長友隊長が久米侍従部長へ視線を投げる。
「久米。会議後に、反風紀1年の保坂を俺の所に連れてこい。保坂から菊田組の情報が取れるはずだ」
「わかりました」
「……では、最後に侍従部。お願いします」
北方さんの指示に、椿副隊長が立ち上がる。
「侍従部から報告します。今回の事件後、警護隊では山崎様の警護体制を大きく見直しました。反風紀の中から14名を選抜し、警護隊の任務に就かせました。特に、山崎様の直接警護役として、適性及び能力値の高い1年を、山崎様のクラス内に1名、クラス外に1名、計2名体制で常時警護にあたらせています。また、登校時と放課後はこれまでどおり久米部長が担当し、山崎様が寮に戻られてからの警護としては2名ずつを時間制で配置します。さらに休日についても、久米部長を中心に常時警護にあたります。その他、侍従隊による飲食物の徹底管理、清掃等の業者が入る際の入室チェックも強化しています。以上です」
「警護スケジュールに穴は無いな?」
長友隊長が厳しい口調で問う。
「はい。交代時間は特に注意して配置しています」
「警護隊は実戦練習を増やせ。特に、複数の敵と相対するケースでのシミュレーションを繰り返し練習しろ」
「了解です」
各部からの報告が一巡し、長友隊長が口を開く。
「交渉部は風紀との連絡を密にして、情報交換を欠かさないようにしろ。諜報部もくれぐれも単独プレイはするな。……我が隊は今、更科隊と協力関係にある。今回の犯人が、山崎様の生徒会執行部入りを阻止しようともくろむなら、我が隊の孤立化を図ってくるはずだ。室井隊・西城隊に比べて、更科隊と我が隊の連携はまだまだ弱い。犯人は頭の切れるやつだ。山崎隊と風紀委員の捜査協力を逆に利用して、信頼関係を壊すための策を仕掛けてくるかもしれない。各自、十分気をつけるように」
そう言った後、長友隊長が僕を振り返る。
「山崎様、何かございますか?」
僕はうなずいて席を立った。
「……新旧の思想と権益がぶつかる時、そこには大きな混乱が生じます。特に、一般人の僕が改革派の中心となっていることで、現体制派からの反発は想像以上に大きなものになるでしょう。通常ならば、守護対象者間の衝突は、各自が属する財閥や門閥への波及リスクにより自制効果が働きます。ですが、僕の場合はそういった後ろ盾が無いので、山崎隊への攻撃はより過激なものになる恐れがあります。……薬物混入事件は、これからの戦いの緒戦に過ぎないでしょう。皆さんには非常に厳しい戦いが続くと思います。……ですが、我が隊には共に行動してくれる仲間がいます。僕たちの持つ最大の武器は、これまで海星聖明学園で行われてきた互いの共通利益による連携といったようなものではない、同じ志と目的に支えられた仲間です。それを忘れずに任務にあたって下さい」
会議が終わり、部隊長達が会議室を後にしていく中、進藤諜報部長が僕の元を訪れる。
「山崎様、少しお時間をもらってもいいですか?」
「はい、大丈夫です」
長友隊長がチラリと僕らの方を一瞥した後、会議室のドアを閉め退出する。
誰もいなくなったのを確認してから、進藤部長が口を開いた。
「ご依頼いただいていた坂上の件ですが……」
その名前を聞いた瞬間、奇妙な焦燥感に襲われる。
「……はい」
「これまで経過報告ができておらず、申し訳ありませんでした」
「いえ。あの後、杉下の件や今回の事件も起きて、進藤部長にはお願いする任務が増えるばかりで、こちらこそ申し訳ないです」
「いや、それは全く問題無いです。私はもう希望する大学から合格通知をもらっているので、山崎隊の中で最も時間的に余裕のある人間だと思いますよ。それに、むしろ今の状況に対して非常にやりがいを感じてます」
「それなら良かったです」
学年首席の進藤部長は、すでに特別入試枠で大学進学が決まっているらしい。改めて彼の優秀さを再認識させられる。
「まだ調査は三分の一程度しか進んでいないんですが、一つ重大な発見があったのでご報告しておきます。……坂上が乾ホールディングスCEOのひとり息子であることはご存知ですか?」
「はい」
「ところが、それは真実ではないんです」
「え!?」
進藤さんが僕の目をじっと見つめる。
「坂上の出生記録は巧妙に細工されていました。……彼は、乾家の分家筋筆頭格にあたる坂上家の実子ではありません」
乾財閥の中核を担う乾ホールディングス最高経営責任者の息子。その彼の本当の出自が隠匿されている……!?
「知り合いに戸籍や出生記録の改ざんに関するプロがいるので、念のため確認してもらったんですが、やはり黒だと言ってました。……この情報が漏れたら、乾グループ内部は大騒ぎになるでしょうね。坂上家を蹴落とす格好の材料になりますから」
自分が探り当てようとしているものの重大性に呆然とする。
「この先はより警戒して調査を進めなければいけないので、お時間をいただくと思いますが、何かあれば都度ご報告します」
「はい、お願いします。――進藤諜報部長」
一礼して立ち去ろうとする進藤部長へ無意識のうちに声を掛けた自分に気づく。
「何でしょう?」
「……杉下薫をご覧になりましたか?」
進藤さんの表情が厳しいものに変わる。
「はい。昼にカフェテリアへ来ている姿を見かけました」
「彼を見て、どう思われましたか?」
「山崎様のお話を聞いていなければ、あっさり騙されていたと思います。中性的で綺麗っていうだけじゃなく、とにかく人目を引きますね。一見、純粋無垢で保護欲を掻き立てるタイプなんですが、人を惹き付けるカリスマ性みたいなものもあって……山崎様が持ってらっしゃる雰囲気に通ずるものがあります」
会議室から出て行く進藤さんの背を見送った後、僕はゆっくりと瞳を閉じた。
この相似性の符号を、どう解き明かしたらいいのか。
僕が見落としているものの正体とは、一体何なのだろうか……?
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