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[55. 対峙]
部隊長会議の後、特別室に戻った僕は、来年1月に着任する予定の統合室長の職務に関する資料を作成していた。
ノックの音が響き、長友隊長が入室してくる。
「諜報部が調査中の薬物の入手経路についてですが、保坂が菊田組にあたってくれることになりました」
「暴力団に関わって、保坂君に危険はありませんか?」
「それは問題無いです。あの界隈で保坂に手出しできるやつはいません」
「……反風紀の方々には力になっていただいて本当に感謝してます。でも、薬物混入事件もそうでしたが、今後も彼らを危険な事に巻き込んでしまう可能性がありますよね。……このまま協力していただいていいんでしょうか?」
長友隊長が途端に不機嫌な表情になる。
「……危険に巻き込むというよりも……。催淫剤の件は、思い出すだけで、本当にはらわたが煮えくり返ります! もしかしたら、保坂や石岡に山崎様が襲われてたかもしれないと思うと……。俺の静流ちゃんが、催淫剤なんて飲んで、男を淫らに誘って――なんて想像するだけで、あいつらを抹殺したくなります!!」
「想像しないで下さい」
「いや、静流ちゃんの事を決してそういう汚れた目で見てるわけじゃないんですよ! ……ただ、ビッチな静流ちゃんとか、もう考えるだけで萌えるというかタギるというか……」
「だから、考えないで下さい」
長友さんとこんなふうに話していると、心を煩わす様々な事が大した問題ではないような気分になってくる。
「今さらなんですが――」
思案気な表情で腕組みする。「親衛隊長になったのは失敗だったと思ってます」
「え!?」
「親衛隊長が一番役得だと思ってたんですけど、実際の任務にたずさわってみると、警護隊長の方が静流ちゃんと一緒にいられる時間が長いですよね。何かあった時は真っ先に静流ちゃんを助けられるし。それに圧倒的に二人きりのことが多い……。失敗しました。久米にいいところを持ってかれました」
思わず胸を撫で下ろす。一瞬、長友さんが親衛隊長を辞めたいと思っているのかと勘違いしそうになってしまった。
「……親衛隊長は嫌ですか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど……」
「僕は長友先輩が隊長になって下さって、本当に良かったと思ってます。……長友さん以外の人が親衛隊長になるなんて、考えられないです」
じっと見つめると、長友さんが相好を崩す。
「いや~、そうですよね! 守護対象者と親衛隊長って言ったら、一心同体っていうか、思い思われっていうか、ラブラブっていうか……」
長友さんの表現がどんどん間違った方向へずれていく。
「とにかく最高のカップルですもんね!!」
「カップル、では無いと思いますけど……」
「やっぱり親衛隊長が一番ですね!」
もはや僕の声は耳に入っていないらしい。長友さんが無邪気に喜んでいる様子が可笑しくて、つい笑ってしまう。
「やっぱり静流ちゃんには笑顔が一番似合うよ」
真剣な表情に戻って、長友さんが言う。
「……きつい事とか大変な事とか、これからたくさんあると思いますが、山崎様が笑っていてくれれば、皆がんばれます」
「長友さん……」
「反風紀のやつらも、山崎様のおかげで自分達の存在意義を得られたんです。……あいつらは、それぞれにいろんな事情を抱えて学園の中でアウトサイダーになってますが、その分、変な特権意識や偏った思想に惑わされずに物事を真っ直ぐに見る事のできるやつらです。……今の世の中のおかしさに気づいてる生徒達は、海聖で起きてるこの変革の波が社会を変える突破口になるかもしれないと、そう感じ始めています。そして、山崎様はそんな生徒達にとって希望のシンボルなんです。……だから、いつでも笑顔でいて下さい」
「はい」
僕は幾度この男性の言葉に救われ、勇気をもらってきただろう。
「長友隊長にご相談したい事があるんですが」
心の中に沈殿していた迷いが、浮かび上がって口を突く。
「はい、何でもおっしゃって下さい」
「杉下薫と話をしたいんですが、何かいい方法はありますか?」
杉下と対峙しなければならない。僕はそう決意していた。
これまで聞いた杉下のイメージは、僕が知っている彼とはどこか違っていた。何が起きているのか、僕は自分自身の目で確かめる必要があった。
「確かに、敵の様子を確認したくても、守護対象者である山崎様が軽々しく杉下に会いに行くわけにはいきませんね。妙に勘繰られても困りますし……」
「はい」
「じゃあ、山崎隊で杉下をスカウトしましょう!」
「え?」
長友隊長が僕に向ってニヤリと笑ってみせた。
******
「杉下をスカウト、ですか!?」
特別室に呼んだ久野君が、目を丸くしながら僕の言葉を繰り返す。
「うん」
「でも、それっていろいろマズイんじゃないですか?」
「いや、良い方法だと思うよ。スカウトすれば、面接っていう理由をつけて幹部メンバーが杉下と直接話をする事ができる。彼に対する策を練るには、まず彼自身を知る事が大事だからね。それに、杉下の目的は乾様か西城様のはずだから、山崎隊から入隊を勧められても首を縦に振るとは思えない。もし万一、うちの隊に入隊したとしても、僕らが彼に騙されることは無いわけだし」
「なるほど」
「で、久野君を呼んだのは、杉下に会う前に彼の情報を確認しておきたいと思って」
本来なら、こういった報告は諜報部長を通すべきなのだが、今日は進藤部長が進学予定の大学に関する用事で不在のため、直接話を聞くことにしたのだ。
「えー、まずはですね。杉下の事を探ろうとすると、必ず敵側に情報が行くように設定されてるんです。イメージとしては、警備会社と契約してるビルに泥棒が入ると、ドアを壊して入った時点で警備会社へ通報が行くじゃないですか。あれと同じ感じです」
僕の理解を確認しながら、久野君が話を続ける。
「それだとマズイんで、他の隊に成りすまして、一つずつ杉下の個人情報を探ってるんですけど――」
「他の隊に成りすますって、どういうこと!?」
「他隊のPCをハッキングして遠隔操作するんです。一つだけだと危ないんで、複数の親衛隊のIPアドレス借りてますけど」
驚く僕を横目に、久野君が話を進める。
「今、一番怪しいなって思ってるのは、うちの学校の初等部を卒業した後、杉下の足取りに空白期間がある点です。詳しく言うと、杉下とその両親の履歴なんですけど、1週間だけ抜けてるんです」
「履歴って?」
「今の社会は、どんな人間でもコンピューターで履歴を追えるようになってるんです。例えば、会社や学校に行く時はICカードで電車に乗りますよね。あるいは高速道路でETCを使う。車だと自動ナンバー読取装置とかもあります。お昼を食べようと思ったらクレカや電子マネーを使うし、パソコンやスマホを使ったらアクセス情報が全部残ります。つまり、生きていれば、どこかに何かその足跡が残るんですよ。……でも、杉下の家族には完全に何も無い期間が1週間あるんです。で、その後すぐに日本を出国してイギリスへ渡ってます。……匂いますよね?」
「うん……」
(「彼が海星聖明の初等部に通っていた事は事実のようです。ですが、卒業後の杉下薫がいたとされている世界全体が、信じられないほど巧妙に作り上げられた偽物だったんです」)
あの時、浪島君はそう言っていた。
久野君が探し出した"空白の1週間"。まさにそれが杉下の謎を探る鍵に違いなかった。
「それと、杉下の周りの人間なんですけど、実際に存在してる人もいます」
「え!?」
「山崎様は以前、杉下の周りは全部偽物だっていう報告を受けたんですよね?」
うなずく僕に、久野君が自慢そうに胸を張ってみせる。
「まぁ、普通のレベルの人ならそう判断するかもしれないですけど」
「違うの?」
「存在しない幽霊が大半ですけど、わずかに現実で生きてる人間もいます。……実際にいるって事まではわかったんですけど、より詳しい内容についてはこれから調べます」
呆然とする僕を見て、久野君が嬉しそうな顔をする。
「敵側のファイアウォールが強力すぎて、僕もかなり手こずってるんですけどね。……今まで経験したことが無い強敵ですけど、相手がこっちに気づいてないうちは勝機があります」
「久野君って、やっぱり天才だね……」
「まだ、進藤部長には負けてますけど」
こんなに凄い人材が自分の元に集ってくれている事が奇跡だと、改めて思う。
「杉下との面接に役立ちそうですか?」
「もちろんだよ!」
そう言って微笑むと、久野君も嬉しそうに破顔した。
******
「緊張されてますか?」
杉下の面接のために小会議室へ向かう僕に、長友隊長がそう尋ねてくる。
「緊張した顔してますか?」
「いえ、とても落ち着いてらっしゃいます」
彼と対峙する事が怖くないと言えば嘘になる。
けれど、僕は逃げないと決めたのだ。どんな結果が訪れようと、運命に対してでさえも立ち向かっていくと。
小会議室に着くと、幹部全員がすでに揃っている。
僕と長友隊長も、それぞれの席へと座る。
「杉下君は隣室で控えています。呼んできてもよろしいでしょうか?」
侍従部副部長の狩井さんが僕に向って尋ねる。
「はい、お願いします」
会議室にはどこか緊張した空気が流れている。
「杉下薫です。失礼します」
(違う……)
ドアを開け、入室してきた少年を見て、言いようのない不可思議な感覚に囚われる。
目の前にいるのは、確かに杉下だった。
だが、何かが違う。
円卓に向って凛然と立ち、柔らかな表情で僕らを見つめる彼は、僕の知っている杉下薫ではなかった。
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