第5部 Last Piece [現在]

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[56. オーバーブルーム] 「本日は我が隊からの招喚に応じていただき、ありがとうございます。これから、入隊勧誘面接時の親衛隊隊則に(のっと)り、杉下君へ3つの質問をさせていただきます」 「はい」 北方副隊長の言葉に、杉下が小さく応じる。 彼の(まと)う気品ある(たたず)まいと憂いある眼差しに思わず魅入られる。 「寺田部長、お願いします」 「交渉部長の寺田だ。1つ目の質問は、杉下君が親衛隊に対して求めるものは何か、それを教えてもらいたい」 「……親衛隊という組織がどんなものか、今の僕にはまだよくわかっていません」 杉下がゆっくりと話し始める。錚々たる親衛隊幹部メンバーに囲まれながらも、緊張や躊躇は微塵も感じられない。 「それでも敢えて言うなら、"仲間"でしょうか。……僕にとって最も大切なのは、同じ志を持つ仲間を得られる事です」 目の前の彼は、僕が知っていた杉下とあまりにもかけ離れていた。 乾様の傍らに仕えていた純粋であどけない少年でもなく、憎悪に燃える目で僕をねめつけた悪魔でもない、全く別の人間だった。 「では、進藤部長、お願いします」 北方副隊長の指名を受け、進藤部長が口を開く。 「君はオーバーブルームという任務を知っているか?」 「いえ、知りません」 迷いのない瞳で進藤部長を見返す。 「君が親衛隊に入隊した場合、オーバーブルームという任務を命じられるかもしれない。対象者に近づき、親しい間柄になって、相手の持つ極秘情報を入手するという役目だ。それについて、どう思う?」 「……そもそも、親衛隊にとって諜報活動というものは必要なんでしょうか?」 逆に進藤部長へ、そう問い返してくる。 「諜報部長の私としては、諜報活動そのものを疑問視されても困るんだが?」 「すみません。……ですが、それが親衛隊に、そしてこの学園に、必要な行為だと僕には思えないんです」 彼の語る言葉には不思議な魅力がある。人を惹きつけ、共にありたいと思わせるような力が。 「たとえ任務だと命じられても、僕は、他人を裏切り騙すような行為を受け入れることはできません」 顔かたちは以前の杉下と同じはずなのに、彼が放つ雰囲気、所作、口調、そして外見までもが別人に見える。 (これが、本物のオーバーブルーム……) 自分とは異なる人間を装い、完全に別の人格になりきって生きる存在。 (「オーバーブルームには大きく分けて2つのタイプがあります。一つは"劇場型"。自分が演じるべき人物像を徹底的に研究し、模倣し、あるいは新しく作り上げます。そして、完璧にその存在になりきるんです。優れたオーバーブルームは、自分の創造した人間が歩んできた過去の物語も全て作り上げ、その人格と完全に一体化すると言われています。……もう一つ、オーバーブルームには"共鳴型"と呼ばれる手法があって、これは自己と他者との間に無意識レベルの共鳴を起こし、相手の心を捉える方法です。ですが、この能力を持つ者はほとんどいないと考えられています」) 2年前、オーバーブルームの研修に参加した僕に、神代さんはそう教えてくれた。 (「オーバーブルームは、ターゲットが心の奥で渇望している欲望や拠り所を探し出し、それを与える事によって相手の心を手に入れます」) 「最後に、山崎様からお願い致します」 北方副隊長が守護対象者用の席に座る僕を振り返る。 海聖学園に潜入してきた今の杉下が、何のために誰の心を奪おうとしているのか、それはわからない。けれど、どんな目的であろうとも、彼が何のためらいもなく他者を陥れ、その人生を踏みにじる事に喜びを感じる人間だという事を僕は知っている。 「杉下君のご両親はイギリスに住んでいらっしゃるそうですが、今回の帰国で家族と離れる事に寂しさはありませんでしたか?」 「寂しくないと言ったら嘘になりますが、パブリックスクールも全寮制でしたので、環境的には以前とそれほど違いはありません」 「杉下君は、ご自分の家族の事をどのように思っていますか?」 「……家族の事を、ですか?」 今日初めて、杉下の表情が微かな変化を見せる。 「すみません。ご質問の意味がよくわからなくて」 君は、何の罪もない僕の家族を不幸のどん底に突き落とした。会った事もない人間を死に追いやる時、君は何故あんなふうに平然としていられる? (「これからあんたに起こる事は、全て僕からの警告だ。……もし、もう一度"こちら側”に戻ってこようものなら、あんたの”大切なもの”は、どんどん失われていく事になる」) 「君がご両親に対してどんな気持ちを持っているのか、それを教えて下さい」 久野君が見つけ出した"空白の1週間"。 おそらくその時、杉下薫と彼の両親は何か重大な事件に巻き込まれたのだ。そして、杉下がオーバーブルームになった原因もそこにあると、僕の直感が告げていた。 「……父は今はもう退官していますが、元外交官として広い見識を持っていて……僕はそんな父をとても尊敬しています。母は、家族の幸せを第一に考える素敵な女性です」 杉下薫の完璧な演技に、目に見えないほどの綻びが生じていた。オーバーブルームの教育を受けた僕にしかわからないだろう、ほんの微かな違和感。 これまで一貫して、彼の語る言葉には強い意志と力があった。たが、両親の事を語る今、まるで台本を読んでいるような乾いた空々しさが顔を出す。 杉下は完璧なまでに作り上げた人物像と、今この一瞬、乖離(かいり)を起こしていた。 「質問は以上です」 僕の言葉に、杉下が視線を上げる。 次の瞬間、僕と彼の視線が正面からぶつかり合い、彼の瞳の中に見覚えのある暗い炎が立ち昇るのを感じた。 全身に鳥肌が立ち、悪寒が背筋を這い上がる。 一礼して立ち去る杉下の背を見送りながら、僕は拳を強く握りしめた。 ――彼は、きっと仕掛けてくる。 扉が閉まり、会議室に静けさが戻る。 「寺田交渉部長」 「はい」 僕の呼び掛けに、寺田部長が振り返る。 「杉下が動き出します。これまで以上に、家族の周囲に目を光らせて下さい」 「わかりました。すぐに監視と警備を強化します。……ですが、なぜそう思われたんですか?」 「……僕は、ずっと疑問に思っていたんです。何故、杉下は無関係の人間にまで手を下したのか」 彼はあの時、警告だと言った。僕が二度と学園に戻ってこないように、僕の大切なものを奪ったのだ、と。 だが、本当にそうだったのだろうか? 乾様の寵愛を失い、全ての権力を無くした僕は、彼にとっては既に敵ですらなかった。退学に追い込まれ学園を去る僕に、それ以上の追い討ちをかける必要はなかったはずだ。 だが杉下は、僕の両親に偽の罪を着せるために、外部の人間を使って殺人まで犯させた。 「僕の質問に答える杉下を見て、ようやく腑に落ちたんです」 あの時、資料室で見せたものと同じ、地獄の業火を思わせる憎しみに満ちた瞳。 「彼は、親という存在を憎んでいる。……家族の愛情というものに激しい嫌悪を感じているんです。……彼が12歳の時、両親とともに消えた1週間。そこに、きっとその答えがあります」
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