第5部 Last Piece [現在]

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[59. 反転] 『……国家単位でのオーバーブルームの活用については、特に独裁国家においてその影響力が顕著となる。現在、世界では20か国以上の独裁政権が存在しており、民主主義の範疇とされる国家においても、選挙の制限や軍事政権の台頭など、世界中でオートクラシー化が広がっている。独裁国家には絶対君主制、一党独裁制など幾つかの政治体制が存在するが、共通するのは独裁者の元に権力の一極集中化が起こる点で、オーバーブルームが独裁者の意向を左右する事が可能となった場合、国家単位での政治・経済の操作が可能となり、その経済効果は一国につき数十億ドルから数百億ドルに達するものと試算される。オーバーブルームAクラスを用いた実証結果によると、6~10年の歳月を要し、対象国家の公共事業のうち主力プロジェクトの6~8割を乾グループ関連企業で寡占した例がこれまでに4件報告されている。これを(もと)にダブルAクラスでのシミュレーションを行った場合、1名のオーバーブルームによって、4~6年で2または3の複数国家にまたがり国家経済中枢の掌握も可能になると推測される。……』 (……これは、スパイなんてレベルのものじゃない) 神代さんから渡された資料を読んだ僕は、オーバーブルームが及ぼす影響力の恐ろしさをようやく理解し始めていた。特定の国へ複数のオーバーブルームを送り込み、国政の中枢にいる人々の心を操る事ができれば、兵器など使わなくても他国を実質的に侵略し、経済的な植民地とする事さえ可能なのだ。 そして、さらに未知数の力を有するトリプルAの存在……。 「進藤諜報部長を呼んで下さい」 隣室に待機している侍従隊長へ内線電話で指示を出す。 僕の中には、謎を解くための欠片(かけら)が散在していた。 杉下の過去。黒幕の正体。学園内の反対勢力の動向。そして、僕と乾様だけが共有している夢の存在。それらは一見別々のファクトに見えて、やがて全てが繋がり合い、全貌が明らかになっていく。――僕にはそんな予感めいたものがあった。 軽やかなノックの音がする。 「どうぞ」 扉が開き、進藤部長が一礼する。 「お呼びだと聞きました」 「はい。お願いしたい事があって」 「私もご報告したい件があります」 執務デスクから立ち上がり、応接スペースへ移動する。 「……先日の面接で、進藤部長は杉下についてどんな印象を持たれましたか?」 「寺田の意見とほぼ同じです」 面接後に行った幹部会で、寺田部長は杉下が僕を模倣していると断言した。 「やはり、杉下は僕に似ていますか?」 「はい」 「……学園内に杉下の協力者がいると思います」 僕の言葉に進藤さんが厳しい表情を見せる。 「そう思われる根拠は?」 「乾隊からオーバーブルームに関する資料を見せてもらいました。その中に、オーバーブルームが他者と自己を同一化させる方法が書かれていたんですが、まず彼らは徹底的に模倣対象者を研究するんです。膨大な映像やデータを基に、立ち居振る舞い、口調、仕草、癖、そして家族構成、生い立ち、主義思想まで、あらゆる情報を頭と体に叩き込み、そこからさらに別個の新しい人格を生み出します。……中学までの僕は今とは外見が違うので参考にできません。外部から隔離された状態の海聖で、現在の僕に関する相当量の情報を手に入れるのは、学園内部の人間にしかできません」 「なるほど。……で、私はその内通者を探し出すために、外部と不審なコンタクトを取っている人間をチェックすればいいわけですね」 "一を聞いて十を知る"というのは坂上さんのような人の事を言うのだろう。 僕は小さくうなずき、そのまま言葉を続ける。 「それから、杉下を送り込んだ組織ですが、内閣情報調査室か乾ホールディングスの可能性があります」 「いや、それは無いです」 間髪を入れず、進藤部長がきっぱりと否定する。 「何故ですか?」 「……実は、内調も乾ホールディングスもハッキングした経験があるんです」 困ったように肩をすくめる。 「犯罪だって事はわかってます。なので、ここだけの話でお願いします。……今回関わっている組織は、内調でも乾財閥でもありません。……その二つよりもっと手強い相手です」 いったん言葉を切った後、再び話し始める。 「久野の言葉を借りると、相手側は侵入を試みようとするハッカーに対して"遊んでる"んだそうです」 「どういう事ですか?」 「通常のIPからアクセスすると完全にシャットアウトし、即時追跡態勢に切り替わるのに、海聖の諜報部経由で入ると、情報の一部をわざと開放して中身を見せながら誘導するんだそうです。まるで海聖の生徒に実践演習をさせてるみたいで、からかって遊んでるとしか思えないって久野は怒ってましたけどね。……ですが、そのおかげで例の"実在している幽霊"について判明した事があります」 進藤部長の目が鋭さを帯びる。 「確認できたのは2名だけですが、43歳男性と31歳女性で、どちらもオーバーブルームとして別々の組織に潜入しています」 「それは、つまり――」 「はい。……杉下の周囲にはオーバーブルームによって構成された疑似世界が作り上げられているんだと思います。現状では数名しかいませんが、既にデータ上では数百名規模の人間の経歴が用意されています」 神代さんから渡された研究レポートの文章が脳裏をよぎる。 『……国家単位での政治・経済の操作が可能となり、その経済効果は一国につき数十億ドルから数百億ドルに達するものと試算される……』 「このフェイクワールドの巧妙なところは、一見、関連付けされているように見える構成者達の記録が、実は個々に隔絶されていて、どんなに調べようとしても彼らの生きた痕跡が見つからない点です。……この架空世界にいるオーバーブルーム達は、背後にいる組織と決して結び付けられないようになってます。まさに、一切の証拠を残さずに消える幽霊そのものです」 この組織は、数百人にも及ぶハイランクのオーバーブルームを養成しようとしているのだ。もしも彼らが全世界に広がり暗躍したとしたら……。 「ですが、どんな強大な敵でも、油断している相手にはつけ入る隙があります」 進藤部長が僕に向ってニヤリと笑う。 「我々がフェイクワールドの実像を見つけ出した事に相手側は気づいてません。そして、私たちの本当の正体も知らない。……今度はこちらが仕掛ける番です。陽動作戦でシステム内から(おび)き出し、我々が用意したトラップに食いついてもらいます」 ****** 親衛隊室を出る頃には、時刻は19時を回っていた。 屋外に出ると、寒さが増した11月の空気に身体がじんわりと冷えていくのがわかる。 この時間だと、侍従隊員は僕の夕食の準備を終えて自室へ戻っているだろう。本当は食事の準備くらいは自分でしたいのだが、最近は忙しさに追われて、何から何まで侍従隊のお世話になってしまっている。 警護隊員2名と一緒に真っ暗になった並木道を通り抜け、南寮の明るいホールに辿り着く。暗闇を抜けた安堵感と温かさに息をつきながら、廊下を進む。 「8時半くらいには伸が戻ってくると思いますので、それまでよろしくお願いします」 自室の鍵を開け、今夜担当の警護の人達にそう伝える。 室内へ入ると、奥の方から光が漏れていた。 今朝、電気を消し忘れたまま出掛けてしまったのだろう。 リビングを通り過ぎると、既に伸が部屋に戻っているらしく、個室から光が微かに漏れ、小さな物音が聞こえた。 (今日は帰ってくるの早かったんだ) 「ただいま」 軽く声を掛け、自分の個室へと入る。 制服を着替えたら、待機してくれている警護の人に帰っていいと声を掛けよう。 そう考えながら鞄を机の上に置いた瞬間、すぐ背後に人の気配を感じ、背筋を冷たいものが走り抜ける。 (――しまった!!) 口元を塞がれると同時に煙のようなものを吸い込まされ、僕の意識は奈落の底のような暗黒へと沈み込んでいった。
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