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「 木立 こだち様。其れを飲んだら上がってこいと。」
さては、暑くて面倒になっているんだな。苦笑した私は草夏殿から曹達を受け取り、一気に飲み干した。パチパチと喉中で爆ぜる炭酸が爽快である。サァッと体内の熱が下がった心地がし、すっかり目が冴えた。
こちらへ。彼女は小さな手で私を促す。慣れぬ革靴を脱ぎ揃え、彼女の後ろを付いて行く。突き立てた大きな番傘の下で、木桶に氷水を張った名義人殿が仰け反っていた。
「嗚呼、木立クン。斯様な恰好でスマンな。夏はどうにも苦手だ。」
視線だけを此方へ寄越すと、ぎざぎざした――喩えるならば鋸の刃――歯を覗かせ、虚無主義者的な笑みを見せた。水に濡れた前髪が滴り、普段より威圧的な雰囲気が緩和されている。私は苦笑を浮かべた。
「いくら酷暑とは言え、氷水はやり過ぎではありませんか。」
「ヒトより熱を持ちやすい体質なモンでね。これくらいせんと、どうにもならんのだ。」
草夏殿はクスリと笑い、鈴音をさせながら立ち去った。童の見かけだというのに、緩やかな所作が妖艶だ。視界の端で舞い去るそれに名残惜しさを覚えながら、名義人殿に向き直った。
「其のままで結構ですので、お話をよろしいですか。」
「良いとも。僕ァ、木立クンの事は気に入っているからネ。」
掻き上げた前髪はより黒々と艶めき、切れ長の三白眼が弓の如く 撓 しなる。蛇に似た視線に私の背中がゾクリと粟立った。
咳払いをして 筆記本 のーとと万年筆を取り出した。店の歴史、開店した切欠は既に伺っている。
「名義人殿は三代目に当たり、歴史は明治となってから直ぐ、でしたね。切欠は貿易商だった初代が友人から、珍しい物を土産として受け取った事だった。」
「ウム。初代も先代も早死したので、管理する者として僕にお鉢が回ってきた。」
「硝子ばかりを扱う様になったのは、名義人殿からなのですか。」
「そうだ。」
彼は体勢を直し、縁に両肘を引っ掛け、腕枕をする様に自身の頭を乗せた。首を傾げる姿勢で、ねっとりとした視線を此方へ向けた。
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