逃げ水の向こうに

3/13
前へ
/13ページ
次へ
   見慣れた街の景色。  私がいつも出歩くのは坂の麓の本屋さんまでだった。その先は母の言い付け通り進んだことはないし、本当に坂の先に用事も無かった。  こんなに近くにあって、知らない世界。  ……母は、何故あの日死を選んだのか。  暑くて思考が定まらない。 「すまないな」  先を行く父がぼそりと呟いた。  すぐ横を軽トラックが大きなエンジン音を立てて通り過ぎていく。父の声は、その音にかき消されそうな程に小さな声だった。 「俺のせいで、お前に苦労をかけた。悲しい思いをさせた。皆を守れなかった」 「……もう、毎年毎年やめてよ。私まで責められてるような気持ちになる」  私は努めて明るく振る舞う。父の、すまん、という二度目の謝罪が消え入りそうだった。  誰のせいだったのだろう。今更考えても答えなど出ない。  自分のことばかりで、ろくに母の手伝いをしなかった中学生の私か。  事業を失敗し、当時多額の借金をこさえた父か。  散歩中に転び、自力で歩けなくなった祖母か。  介護に、節約生活に追い詰められていたのにも関わらず、全ての絶望を心の内に閉じ込め続けていた母自身のせいか。  
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加