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手首を拘束する力と同じ、強い瞳が奎緒を捉える。その手を振りほどくことも、視線から逃げることもできずに、奎緒はうつむいたまま掠れたつぶやきを落とした。
「……離して」
「なら、どうして今日に限ってこんなふうに俺に近付いたんだ? ──今までさんざん、俺のことを避けていたくせに」
「……別に、避けてなんか……」
責めるように問われて、言葉を失くす。抑えられてはいるが憤りを含んだ声に比例して、きゅっと手首を掴むてのひらにさらに力が込められた。
──大好きだった和彦。あの日から気付けばいつだって傍らにいて、母親の温もりを知らずに育った奎緒を、そのやさしさで包み込んでくれた遠縁の青年。
それがやがて、互いのなかで、違う名前の感情に変わっていると知ってもなお。
……でも、だからこそもう一緒にはいられなかった。
だから、離れたのだ、自分は。
あんなに居心地のよかった、和彦のそばから。
「去年、前院長が亡くなった日。──あれからだよな、奎緒が俺を避けるようになったの」
的を射た指摘に思わず顔を上げた奎緒に、和彦が確信に満ちた静かな声で続ける。
「聞いたんだな、俺のこと。院長から」
何か、言わなければと思った。どんな言葉でもいい。たったひと言でいいから。
──この沈黙を、肯定と取られてしまう前に。
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