アクアリウム

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アクアリウム

「──和彦さん」  こぽこぽと、填め込み式の水槽が立てるエアー音に満たされた待合室のなか、奎緒(ふみお)は椅子のうえに長身を投げ出すようにして眠る白い影にそっと呼びかけた。 「……ん、……」  声が聞こえたのか、小さく呻いて影がわずかに身じろぐ。ブラインドの隙間から差し込む青白い月光が、彼がまとう白衣のうえを波のようにただよってから、リノリウムの床にこぼれ落ちた。 「……こんなところで寝てると風邪引くよ」  しかし、そのままふたたび寝息を立て始めた和彦に、奎緒はため息混じりのつぶやきを漏らす。つい先程まで、交通事故で運ばれてきた急患の処置に追われていたからだろう。冴々としたひかりが照らし出す端整な横顔には、疲労の色がにじんで見えた。  ──十年前、初めて会ったときも、彼はこんなふうにひと気のない真夜中の待合室にひとり、胸にアクリルの水槽を抱えて座っていた。今の姿とは対照的な黒い制服に身を包んだ和彦は、夜の闇のなか、今にも溶けて消えてしまいそうだった。少なくとも、まだ幼かった奎緒にはそう見えた。 「……和彦さん」  もう一度、ささやくようにその名前を口にして、奎緒は目の前で静かに上下する白衣の広い肩に手を伸ばす。けれど、指先が触れる寸前、耳をかすめた水の音に慌てて身体を引いた。  ──ここは、まるで海のなかだ。水面をたゆたう陽光がきらきらと舞い降りてくる浅瀬ではなく、そのかけらがかすかに届くか届かないかの深い深い青色の果て。沈黙する世界。  そこに何がひそんでいるのか、誰ひとり知らないままに。
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