過去編 第二章 「幻獣の野にて」

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 体中を怒りが駆け巡った。 (殺してやる!!)  怒りに任せて衝立ごとなぎ倒し、乱入するはずだった。  だが踏み出しかけた足は……半歩めで凍りつく。  押し殺したナシェルの喘ぎ声に混じり、耳に飛び込んできた、残酷な声を聞いて。 「おお……そなたの乳兄弟が来たようだぞ…。そなたのこの淫らな姿を見せてやろうか。  何と云うだろうな?」 (……嘘だ)  そんなはずない。そんな……そんなはずは……。  剣の柄にかけた指が(おこり)のように震え出し、鞘のなかで剣がかちゃかちゃ鳴りだした。  震えは止まらない。指も、柄に吸い付いて離れない。  ―――どうして陛下が。  死の精ではなく闇の精が訪れた意味がわかった。ナシェル以上に、冥王がよく使役する精霊だった。 「何故です、どうして……呼んだのです、彼を……! ひッ……あぁ……だめ」  ヴァニオンの思いを代弁するかのように、ナシェルが震える声で口にした。 「どうして、父上!……んぁあっ」  語尾に、聞いたこともないような艶声が混じる。  衝立の向こうで、王は律動しながら乾いた笑声を上げた。  まるでヴァニオンの姿が見えているかのように、王は冷ややかに呼びかける。 「ヴェルキウスの(せがれ)よ、その剣でどうするつもりだ? 余を斬るか?」  そんなこと……できるはずがない。 「ナシェル……!!」  ヴァニオンはただ呆然と愛しい名を呼んだ。逡巡し動転する己に、何かを命じて欲しいと。なぜなら彼の四肢は凍り付き、頭は真っ白で、自分の意思で何かを成し遂げる気概は消えうせていたからだ。  救出を命じてくれ、と心で叫ぶ彼に、ナシェルが応える。 「ヴァニオン、出て行け!」  予期していたものとは正反対の言葉に絶句する彼に、追い討ちをかけるようにナシェルが命じる。否、それは寧ろ哀願であった。 「頼む、出て行ってくれ……!」  ナシェルの絞り出すようなくぐもった叫びを耳にして、ヴァニオンは弾かれたように天幕を飛び出した。
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