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体中を怒りが駆け巡った。
(殺してやる!!)
怒りに任せて衝立ごとなぎ倒し、乱入するはずだった。
だが踏み出しかけた足は……半歩めで凍りつく。
押し殺したナシェルの喘ぎ声に混じり、耳に飛び込んできた、残酷な声を聞いて。
「おお……そなたの乳兄弟が来たようだぞ…。そなたのこの淫らな姿を見せてやろうか。
何と云うだろうな?」
(……嘘だ)
そんなはずない。そんな……そんなはずは……。
剣の柄にかけた指が瘧のように震え出し、鞘のなかで剣がかちゃかちゃ鳴りだした。
震えは止まらない。指も、柄に吸い付いて離れない。
―――どうして陛下が。
死の精ではなく闇の精が訪れた意味がわかった。ナシェル以上に、冥王がよく使役する精霊だった。
「何故です、どうして……呼んだのです、彼を……! ひッ……あぁ……だめ」
ヴァニオンの思いを代弁するかのように、ナシェルが震える声で口にした。
「どうして、父上!……んぁあっ」
語尾に、聞いたこともないような艶声が混じる。
衝立の向こうで、王は律動しながら乾いた笑声を上げた。
まるでヴァニオンの姿が見えているかのように、王は冷ややかに呼びかける。
「ヴェルキウスの倅よ、その剣でどうするつもりだ? 余を斬るか?」
そんなこと……できるはずがない。
「ナシェル……!!」
ヴァニオンはただ呆然と愛しい名を呼んだ。逡巡し動転する己に、何かを命じて欲しいと。なぜなら彼の四肢は凍り付き、頭は真っ白で、自分の意思で何かを成し遂げる気概は消えうせていたからだ。
救出を命じてくれ、と心で叫ぶ彼に、ナシェルが応える。
「ヴァニオン、出て行け!」
予期していたものとは正反対の言葉に絶句する彼に、追い討ちをかけるようにナシェルが命じる。否、それは寧ろ哀願であった。
「頼む、出て行ってくれ……!」
ナシェルの絞り出すようなくぐもった叫びを耳にして、ヴァニオンは弾かれたように天幕を飛び出した。
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