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「だって、どこに逃げる? 逃げ場はないんだ。私は父の神司を分け与えられた半身だ。母が、孤独な父のために、私を命がけで遺して逝ったんだ。……だから父から私を分かつことはできない。お願いだ、判ってくれ。父上には、お咎めなしにしてくれるよう私から頼んでおくから」
ナシェルの瞳にも涙が溢れたかに見えた瞬間――。
彼はくるりと背を向けてヴァニオンの視線を遮った。説明はそれだけだった。
「許してくれ。……もう戻らなくては」
愛しい背中は残酷に、一切の感情を廃棄したかのようにそう告げて。
ヴァニオンは呆然と、葦原に膝をつき崩れ落ちた。
初恋はそのようにして突然、一方的に砕け散った。
◇◇◇
これで良かったのだと、ナシェルは思う。
冥王の怒りの矛先を逸らすには、こうするしかない。
そもそもは自分の招いたことだったのだ……。
ひやりとした風が、頬を撫でていった。
慌てて出てきたので、外套の下は薄物一枚だ。
身震いし、襟を掻き合わせる。
王をこれ以上、待たせるわけにはいかない。
天幕に戻ると、冥王がローブを一枚羽織っただけの姿で、立ち上がり出迎えた。
「お帰り。……泣いていたのか? 可愛いね」
優しく指で頬を撫でられる。
収まらぬであろう父の怒りと、罰を予期して、体が震える。
「さあ、こちらへおいで」
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