死者の沈黙、生者の喧騒

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「そろそろ休憩したらどうだい?」 一日掛かりの大掃除から十日あまり。──科学都市(キラセス)向けの商品は、順調にその在庫を増やしていた。 光を増幅する特殊な水晶鏡、天体を観察するのに用いられる透明度の高いレンズ、薬品を保存するための遮光性が高い密閉式のビン。植物や動物から目的の成分を抽出して分離するための溶剤、薬品の合成に用いる試薬に触媒。植物の生態を観察する際、条件を揃えるために用いられる人工土。 緩衝材が敷き詰められた箱に並べられたそれらの品々の中には錬金術で用いられるものも多くあったが、科学者向けの商品では錬金術師向けのそれよりもはるかに精密で均質なものが求められていた。 「ああ、そうだな。この窯が冷えたら一息入れるとしようか」 アゾットにとってそれらの品々は、かつての満ち足りた日常を思い起こさせるものだった。それらは緩やかに流れる時の中で小さくなった色硝子のように、かつての鮮やかな輝きこそ喪われていたものの、代わりに柔らかな温もりを帯びて再び彼女の世界を彩っていた。 「ちなみに、今錬成(つく)ってるのは何なんだい?」 「温度計だ。一般に出回っているものと違って水晶(クリスタル)水星銀(アマルガム)を使っている。……うっかり割ろうものなら大惨事だが、正確さは折り紙付きだ」 「温度計に水星銀(アマルガム)?……そりゃまた随分と贅沢だね」 水星銀(アマルガム)とは毒性の強い液状の銀を他の金属とともに錬成して安定化させたものの総称であり、高品質なものは同じ重さの純金よりも高値で取引されている。 「科学者連中は研究結果に完璧を求めるからな。薬の合成研究をやっている連中などは、反応温度が一セルシウスでも違えば『違う実験』として扱うそうだ」 「……それはまた……考えだけで頭がクラクラするね」 魔術師が魔術を使う際に最も重要となるのは術者の扱える霊基(エーテル)量と精度、次いで術をかける対象の霊基濃度と活性状態だ。それらを知るため霊基に反応して発光するランタンなどが用いられることはあるが、その光量はあくまで目安に過ぎず、定量的に霊基の濃度や活性状態を測定しているわけではない。 「魔術師は術者の側である程度霊基の状態をコントロールできる分、術を使う環境にはあまり頓着しないのだろうな。尤も、錬金術の分野にも環境霊基に厳密に配慮しなければならないような錬成(もの)はそうそうないが……」 「なるほど、術者の霊基を一切使わない『科学』じゃあ、モノ自体とそれが置かれてる環境がキモになるってわけか」 「そういうことだろうな。とはいえ、私も科学に詳しいわけではないから推測に過ぎないが……さて、そろそろか」 アゾットは、焼成窯に彫られた窯内部の高温と高圧を示す魔法陣の光が消えたのを確認すると、肘上まである断熱布の手袋で窯の扉を開き、中にあった鋳型を取り出した。 「あとは、自然に冷めるまで待てば完成だ」 「よしきた、それじゃまずはお茶にしようか?一昨日買ったトリコの実を香味砂糖漬けにしてたんだ、いい具合に仕上がってるよ」 香味砂糖とは砂糖に複数のハーブやスパイスを調合(ブレンド)したもので、家庭毎に様々なレシピが存在する。アゾットが錬成にかかりきりなために手持ち無沙汰なのか、リンクスは魔術都市(アラベル)にいたときに比べると多少凝った食事や菓子類を作るようになっていた。 「それは楽しみだな。……かなりの量を買っていたようだし、残ったらジャムにするのもいいんじゃないか?」 「それもアリだね。ま、トリコの実はアタシの好物だから、残らないと思うけどね」 「なるほど。……こちらでは手頃な値段だが、魔術都市(アラベル)では結構な値段で売られていたからな。まあ、心ゆくまで味わっていくといい」 思いのほか錬金術都市(ルリゼス)を満喫しているリンクスが微笑ましく。──アゾットは、明日は息抜きに観光名所を案内してみるか、と独り言ちたのだった。
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