第1話

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第1話

 夢はない。目標はない。でも大学は入らないといけないから勉強をする。  そういう風に掲げて受験勉強を始めたのは高2の夏のことだった。  受験勉強をするのなら、高2の夏からは初めておけ。むしろそれでも遅いぐらいだ――、そんな父の言葉に従い、私は勉強を始めた。  勉強をするにあたって、私が最初にしたのは居場所探しだった。私には何人かの弟妹がいて、その誰もがまだ小学生も高学年にいかないうるさいクソガキばかりで、家で勉強をするにはあまりのも環境がむかなかった。  けれど学校で勉強をするのは嫌だった。なぜなら、私は浮いているからだ。  父親に言われて真面目に受験勉強をしているだなんて知られたら、きっとさらに浮くに決まっている。一度、図書室で勉強していたら腫物を見る様な目をされて隣立った生徒に離れられてしまった。  そもそも、浮いている理由だって父にあるのだ。  厳格でそれなりな立場のある父。  そんな父の子供のせいで、先生も生徒も皆、腫物みたいに扱ってくる。よって、私の高校生活は開幕時からぼっち生活を余儀なくされていた。  放課後。制服のまま、私は勉強が出来る場所を探した。  すると、とある喫茶店が私の目に止まった。  一軒家の1階をお店に改造して使っているタイプの個人経営らしき喫茶店。家々ばかりが並ぶ住宅街に溶け込むようにして建つ姿は、意図的に探そうとしなければ気づけないほどに地味なものだった。  看板もドアの上に木の板でできた突看板がさげられてるぐらいで、主張が弱い。よく見なければ、そこに看板がある事にも気づけないほどの存在の薄さだ。 「……『a coffee break』?」  看板に刻まれた文字にちょっと眉をひそめる。  店名にしては、あまりにも文章すぎる字面だ。変な店名。  ドアのすりガラス越しに見えた店内も、どことなく怪しい雰囲気があった。  全国支店のような客が寄りやすいような雰囲気とは真反対の、薄暗く、どこかじめっとした雰囲気。一介の高校生どころか、喫茶店好きですら入るのをためらいそうなお店である。  しかし、これぐらい人が寄り付かない場所の方が、静かに勉強ができるかもしれない。  よし、と意を決し、中に入る。  ドアを開けた瞬間、勢いよく鼻孔に飛び込んできた珈琲の香りにウッとなった。  くらくらとめまいがしそうなほどに濃い焙煎の香り。まるで分厚い塊を顔に押し付けられた時のような、息詰まった感覚が私の鼻を襲う。  けど、ドアを開けた以上、中に入らずに帰るのは難しい。私の精神はそこまで図太くない。しかたなく、空いている席を探して座った。  縦長の狭い店内。お客よりも空いている席の方が多かった。  席は、カウンターと壁際に寄せられた2人がけのテーブル席の2タイプにわかれていた。ふと、1番奥のテーブル席が目につく。カラフルなすりガラスでできた小さな窓の横に添えられた席。そこだけは暗い店内とは真反対に、暖かな光に包まれていた。  ここにしよう。瞬時そう決めて、席に腰をおろす。  カウンターにいる店主に珈琲を頼んだ。カウンターの中から焙煎機器の動く音がする。なるほど、この濃密な珈琲の香りは、これが原因か。勉強をするには少々気が削がれそうな音だったので、持ってきたウォークマンを使い、早々に自分の世界に引きこもることにした。  運ばれて来た珈琲を片手に勉強をする。お店のオリジナルブレンドだというそれは、想像以上に好みの味だった。店の雰囲気はよくないが、珈琲とは相性がよかったみたいだ。  ふむ。なかなかどうして悪くはない。  店そのものの胡散臭さは気になるが、それだって見方を変えれば知る人ぞ知る隠れ家のような感じがして、なんだか大人っぽい。蔵人がいるお店って感じがして、貫禄がある。  よし、今日からここを私のオアシスとしよう。  いい場所を見つけられてよかった。  再びノートと参考書と睨み合う世界に戻ろうとしたその時、ウォークマンの音楽が止んだ。どうやら再生していたプレイリストが終わってしまったらしい。  せっかく人がいい気持ちでいたというのに……。  ため息をつきながら、もう一度同じリストを再生しようと操作をした時だった。 あれ、と聞き覚えのある声がした。 「宮田さん?」  突然呼ばれた自分の名前に驚く。  声がした方へ顔を向ければ、同じように驚いた顔の青年と目が合った。  白の丸襟のシャツに、チェック柄の襟付きシャツを着た男性だった。足元もジーンズに適当な運動靴と、パッと見、どこにでもいる大学生の風貌だ。  けど、私は彼が大学生ではないことを知っていた。 「先生……」  非常勤英語担当教師『早見一郎(はやみいちろう)』。  それが、私に声をかけてきた人物だった。
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