財団職員に合格して

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40歳になった。 年齢的に仕事が決まっていない私は、転職の厳しくなる年齢だ。 長年働いた書店が倒産後、職を転々をする日々が続いた。 毎日職を探しながら派遣を5年程続け、何時の間にか仕事が続かない人生を送るようになっていた。 私利私欲の為に働く毎日。何が正しいのか良く分からない理由と根拠に振り回されながら今の職場にどれだけ耐えられるのだろうと思うような日々だ。 偶然葬儀場の棺運搬と施設内の簡単な案内係り募集のパートを見付けたのはそんな時だった。 ハローワークで紹介状を何枚も応募した経験から、面接に慣れ過ぎた自分の履歴書は転職回数も20社を超え、面接官も内容をよく読む前に「正社員の経験は有りますか?」と言われる程、多い回数のようだった。 書店の正社員や他にも倒産した紹介予定派遣で正社員後に倒産したいくつかの会社の話。接客経験10年以上の話をすると、殆ど後日連絡の話になる。そんな面接。 倒産しかけているか、人員に何か大きなトラブルを抱えた会社だけにしか合格しない年齢だと気付いてから、気軽に面接に行けるようになっていたのは、不幸中の幸い。 無表情に面接が終わり、上記のような会話を遠まわしにされて。後日合格の連絡がきた。 特殊な仕事だが、介護施設や病院の夜間警備の経験からどろどろした人間関係や人の死に際、死後の対応も経験させられた為だろうか。 とにかくこれでまたしばらくは何とか生活ができる。 4ヵ月後。思った通り人員トラブルの大きな職場だった。 各自が勝手に個人的なルールを持っている現場で、上司は部下の文句と非難しかしない人だった。 そんな中、4ヶ月で殆ど全員のやり方を覚え、それそれの間違いをそれぞれの目の前で他の職員から自分を通して非難されることで、私の立ち居地は出来上がった。 何時の間にか。リーダー的存在になっていた。そうなるしか生き残る方法が無かっただけだが。 ただひたすら反論せず、謝罪と行動を繰り返す日々。その内[それそれ]のやり方で食い違う部分に全員が気付きだす。 私は[誤り]続けるだけ。心も身体もボロボロになるが、本当に仕事を続けたいと思う数人から受け入れられ、今もそこに居た。 死体を運び、別れる場に安置。遺族と別れの儀式をし、棺を火葬炉に入れる。それが私の仕事になった。
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