絡んだ糸<27>

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「碧仁という名前なのか?」  いきなり名前を呼ばれて歩みが止まる。何回も前を横切る私に苛立ったのだろうか。私はヤクザではないから肝は据わっていない。そんなじっとしているのは無理だ。 「はい、沢木碧仁と申します」 「文哉がそう呼んでいた。あの男はめったに下の名前を呼ばないから驚いてな」 「でも若頭さんのことを芳樹と呼んでいますよね」 「それも知っているのか」 「ええ、若頭さんが一人でわたしの店にきましたから」 「落ち着かないのはわかるが、少し座らないか?」  立ったまま座った相手に話すのは失礼だ。ましてや歩きながら口を聞いていい相手ではない。裕が「父」と認めて従っている男に無礼をはたらくわけにはいかない。少しだけ距離をおいて横に座った。 「芳樹が逢いにいったのか?」 「ええ。ふらっときました、誰も付けずにです。すぐに裕を呼んで迎えに来てもらいましたが」 「芳樹は今香港に向かうため空港だ。正しい場所を見つけたといってアッサリ権田から逃げ出したよ」 「そうでしたか……間違った場所に生まれたと言ったのは私です」 「ほお」 「一人でフラフラして何かあったら裕が責任をとるはめになる。もう少し自分の周りにいる人間に興味を持てと。それに気が付かないのならヤクザの世界や貴方のポジションは間違った場所だと。少し頭に血が昇りましてね。若頭さんは私にとって無関係ですが裕は大事な友人です」 「桜沢と文哉以外に芳樹に説教する人間がいるとはな」 「その裕がこんなことに……」 「桜沢は死なん。俺が絶対に阻止してやる。あの世に連れて行くと言うなら、相手を殺して取り戻す。 桜沢はまだやらなくてはいけないことが沢山あるからな。もっと大きく強く、そして強大な存在になる、だから大丈夫だ。俺が逝かせない」  その瞳は真剣で、自分の発する言葉に微塵の疑問ももっていない。その揺るぎない姿は言った事が真実であり、何かあっても絶対に裕を引き戻す。そう信じることができた。
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