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「お帰り。あれ? 下島にいじめられて泣いちゃったの?」  堤と共に教室に戻り、席に着くなり、前の席に座る木下に悪戯っぽく言われた。由宇はとっさに軽口で返すことができなかった。その反応をどう受け取ったのか、「え、そんなに怒られたの?」と木下の声色は同情に変わった。由宇は職員室での出来事をかいつまんで木下に説明した。木下は終始無言で由宇の話を聞いていたが、由宇が話し終えると、目を細めた。 「優しいでしょ」 「え?」 「堤」  由宇は素直にうなづいた。 「うん、堤は優しい」 「でしょ、でしょ」 「だから好きになった?」 「え?」 「堤に告ったって言った」  木下は「あぁ〜……」と目線をさまよわせたあと、机の上の由宇のペンケースをいじり始めた。 「もうほんとに好きだったか、自分でもよく分からないんだけど。私ね、入学した時から通りすがりに女子に騒がれたり、手紙もらったりすることが多かったんだ。全然同性にモテたいとか、そんなつもりないのに。そのせいで話したこともない隣のクラスの人から体育の時に悪口言われたりもした。バスケ部でベリショにしてた中学の頃よりは全然少ないんだけどね」  なるほど、それで木下は髪を長く伸ばしているのか。  クラスにいる時、木下は極端なほど男子と話さない。由宇も最初は話しかけても一言二言しか返してもらえなかった。それでも後ろの席から話しかけ続けていると、根負けしたのか会話が続くようになった。あまり目立ちたくない、クラスの女子から浮きたくないと言っていたのを覚えている。 「堤とは一年の時、同じクラスで同じ学級委員だった。四月のまだなんにも分からない時に、三年の教室に全学級委員が集められたんだけど、教室の外に私のこと見に来てる女子が何人かいて、すごく嫌だった」  木下は、当時のことを思い出したのか、苦々しい表情をした。 「気まずくて、先生や先輩たちに私のことだとばれませんようにって祈りながら下向いてた。そしたら、隣に座ってた堤がすっと立ち上がって、教室のドアを閉めてくれたんだよね。うれしかった」  木下がはにかむように笑った。 「それからは同じ委員なのもあってよく話すようになった。堤は絶対女子にモテる木下さん扱いしなかった。他の男子と違ってガキっぽくてうるさいところないし。一緒に勉強してたこともあるんだよ」  由宇は心臓が一瞬止まり、次いで激しくドキドキし始めたのを感じた。そんな由宇の様子に木下は全く気付いた風もない。 「でも委員会って一学期で終わりでしょ。学級委員じゃなくなったら、もうこんなに一緒にいられなくなると思って、勢いで告白しちゃった」  木下は「ふられちゃったんだけどね」と自嘲的に笑った。 「堤は困ってた。私がそんなこと思ってるなんて夢にも思ってなかったみたい。青ざめてた気もする。堤がそんな態度だから私も気まずくて、それからあんまりしゃべらなくなっちゃった。こんなことになるなら、告白しなきゃよかったって後悔もした。人と人とのつながりって、なんか、儚いよね。始まりはあいまいなのに、終わりははっきりしてる」  由宇は、急速に指先が冷えていくのを感じた。同じだ。過去の木下は現在の由宇だ。由宇は、放課後になれば堤と一緒に勉強できると思っている。当たり前のように誘い合って図書室に行き、当たり前のように同じテーブルにつく。けれど、それもずっとは続かない。いつか必ず終わりがくる。木下のように何かきっかけがあって終わりにならなくとも、例えば、今は同じクラスだけれど、来年の春になれば進級によるクラス替えで堤と違うクラスになる可能性もある。そうなれば、今のように授業中に堤の声を聞くこともない。  高校を卒業すればどうか。堤は地元を出て、東京の大学に進学すると決めている。由宇も知っている難関大だが、たぶん堤は合格するだろう。万が一不合格だったとしても、進学先はやはり県外な気がした。大学生の姉は夏休みや年末年始のたびに帰省してきた友達と会っているが、堤も帰省してくれるのだろうか。してくれたとして、会えるのは年に一、二回。そんなの由宇にはとても耐えられそうにない。  いずれ堤とは違う道をいく。この毎日が永遠に続くことはありえない。同じクラスで、同じ教師の授業を受ける日々が連綿と続いているから実感がわかないだけで、それは変えようのない未来だ。  もうひとつ、別れは突然やってくると由宇が痛感するできごとがあった。  小田桐先輩から「出して」と差し出された白く細い手を、由宇は無言で見つめた。小田桐先輩の求めるもの、あのコンドームをその手に乗せることは今の由宇にはできない。もう堤に使ってしまった。 「他の子と使ったの?」  小田桐先輩のいう他の子はたぶん他の女の子という意味で、それは違う。でも、どう説明していいか、由宇はとっさに思いつかなかった。事実をありのまま言えば、さらなる説明を求められるだろう。が、どこから説明すればいいのか。堤がひた隠しにしていることを、堤の許可なく他人には話せない。  由宇が口を開いたり閉じたりしながら視線を泳がせていると、小田桐先輩はため息を一つつき「もう、いいよ」と言った。何がいいのか、つづく「さよなら」という言葉で由宇は理解した。身を翻した小田桐先輩のすっと伸びた背中を見ながら、由宇は小田桐先輩の許せないことをしてしまったのだと悟った。そこにはいくらか誤解がある。順を追って説明すれば、小田桐先輩は考えを改めたかもしれない。けれど、由宇は、小さくなるセーラー服の背中をただ見送るしかできなかった。
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