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 また当てられている。  向井(むかい)由宇(ゆう)はうとうと眠りかけていた現代文の授業で、(つつみ)正隆(まさたか)が発表している声を遠くに聞いていた。  教師の指名はだいたいが日付による。  今日は五月十二日なので出席番号十二番の生徒が真っ先に当てられ、そこから座席表の前か後ろへ──自分は他の教師とは一味違うと示したい教師は横へ進んでいく。  しかし、堤の出席番号は十二番ではない。十二番の生徒の前後左右に座っているわけでもない。他の生徒が教師の質問に答えあぐねると、三回に一回は堤が解答を求められるのだ。そしてたいがい、堤はその用意ができていた。  四月に高二の一学期が始まって一ヶ月が経つが、それはすでに二年三組のよくある光景の一つとなっていた。  教師からすれば、五十分という限られた時間の中で、授業の流れが止まった時、確実に正答を返してくれる生徒を指名してその場を切り抜け、授業を先へ進めたいのだろう。見え見えだ。そして、教師も、また他の生徒も、毎回堤が指名されることを特別おかしなことと思っていないようだ。それが由宇には少し気持ち悪い。  堤は、クラスの過半数の票を集めて学級委員長になるような生徒だから。どの教科で、いつ当てられても必ず宿題と予習をしてきているから。クラスで一番当てられても問題ない。理由は分かりやすくて単純だ。でも、それっておかしくないか、と由宇は思う。由宇だったら、なんで俺ばっかり、と不満に思うに違いない。  堤はといえば、いつも淡々と答えを発表して終わりだった。三人続けて間違えた質問に解答したといって自慢げでもなく、理由は明らかなのになんで自分ばかりと萎縮する振りをするでもない。授業が中断した時の堤頼みの役割をただ受け入れているようだった。これで眼鏡でもかけてきょどきょどとしていれば、やんちゃな連中の冷やかしの対象にでもなっただろう。しかし堤は体躯に恵まれて上背があり、からかわれたりいじられたりしている様子はない。むしろ常に落ち着いた言動で、教師ですら手を焼く連中からも一目置かれているように由宇は感じていた。  毎年「今年で最後、来年定年」とうわさの年とった現代文教師は、うんうんうなづきながら堤の発表を聞いていた。もうこれが正答だと言わんばかりだ。実際、この現代文教師は、堤の発表でもって解説に代えるという手抜きをよくやった。  正直、気味が悪い、と由宇は思う。明らかな不公平にも声を上げず、教師の期待する役割を淡々とこなすなんて、実は推薦入試でも狙っているのだろうか。だとしたら、なんてせこいやつだろう。堤ほど頭が良ければ、普通に受験してもどこの大学でも受かりそうなのに。  由宇とは大違いだ。国語も社会も好きでも得意でもないが、数学が嫌いという理由で文系コースを選択したものの、由宇は自分の進路を決めきれないでいた。  世の中には、入試で答案用紙に名前さえ書けば、合格する大学があるという。大学に入学するハードルは、きっとそれほど高くない。けれど、そんな大学に入ったところで、一体何になるというのだろう。それならば勉強して、出る価値のある大学というものに行けばいいのだろうが、つい、今これを勉強して、将来何の役に立つんだろうと冷めた考えをしてしまう。どう想像をふくらませても、古文や数Ⅱの教科書に載っていることが、この先の由宇の人生の助けになるとは思えない。勉強の先にあるものも見えないのに、由宇はやる気になれなかった。  やる気の減退は睡魔を呼び寄せる。体育の後の現代文なんて寝てくれと言っているようなものだ。窓からの五月の風が火照った顔に心地よく、さらに由宇の眠気を誘った。
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