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 冷蔵庫からパックの麦茶を取り出し、コップに注いで一気に飲み干す。由宇は空になったコップにもう一杯、そして新しいコップに麦茶をなみなみと注いで、部屋へ戻った。  由宇が「シャワー、使う?」と尋ねると、堤は小さく首を横に振った。  「じゃ、俺だけ浴びるね。これは拭くのに使って、汗すごいよ」とタオルを差し出すと、堤は無言で受け取った。  駅からここまで、堤は一言も口を利かなかった。何も言わず、導かれるまま由宇の後に続いた。早く由宇と別れて独りになりたいのかなとも思ったが、今堤を放り出したら赤信号も平気でふらふら渡ってしまいそうだ。  由宇がこんな堤を見るのは初めてだった。いつも堤は自分の中に明確な基準があって、冷静に目標までの距離を測りつつ着実に進んでいるように由宇には見えていた。こんな、立ち止まって、行く先も現在地も見失ったような堤は見たことがない。  理由はたぶん駅で見かけたあの女の人。かわいいとかきれいとかいう以前に、大人だなというのが由宇の印象だった。木下も顔だけで言えば相当の美人だが、あの女の人の前へいくと子供っぽく感じられた。  元カノだろうか。あんな人と一度でも付き合ったら、いくら学校でかわいい子や美人と言われる子に告白されたとしても、付き合おうとは思えないかもしれない。きっと物足りない。  由宇がシャワーを終え、適当なTシャツと半パンに着替えて部屋に戻ると、堤は由宇の勉強机の椅子に座っていた。目の前に置かれたコップのお茶が減っている。少しだけ冷静さを取り戻せたのかもしれない。 「シャワー、ほんとに使わない? 気を遣ってるなら、うちの親、夜まで戻らないよ」  ややあって堤が立ち上がったことから、由宇は浴室へ案内した。 「Tシャツ、置いとく」  由宇はドアごしに浴室からシャワーの音がし始めるのを待ってから、部屋へ戻った。自分の家の風呂をクラスメイトが使っているというのは不思議な感覚だ。 「ありがとう」  制服のズボンの上に由宇の貸したTシャツを着て現れた堤は、開口一番そう言った。スペースオペラのグラフィックTシャツをまとった堤は、由宇にはいつもより無防備に見えた。シャワーの飛沫で濡れた前髪が、束になって額にかかっているのもある。 「どういたしまして」  堤の声は小さかったけれどしっかりしていた。黒い双眸も定まっている。冷たいシャワーを浴びて、落ち着いたのかもしれない。 「座ったら?」  堤はしばらく考えて、由宇の隣、ベッドの上に腰掛けた。  男子高生二人分の重みを受けて、ベッドが深く沈む。 「質問好きの向井が何も聞かないのは、気を遣ってくれてるんだろうな」 「え?」 「横になってもいいか?」 「いいよ」  堤はそのまま背中を倒し、ベッドに仰向けになると、目の前で両腕を交差させた。  しばらくして「彼女は」とゆっくりと堤が話し出したとき、あぁ、やっぱりと由宇は胸がちくりとした。 「元カノ?」 「兄の、な」  由宇は驚いて、堤を振り向いた。 「お兄さん? 堤のじゃなくて?」 「大学生の兄が、家に連れて来た彼女だった。最初は顔を合わせる程度だったが、次第に言葉を交わすようになった。何回かな、たぶん三、四回、家で見た。でも、急に来なくなった。兄は別れたと言っていた」  堤の喉が震えている。自分で話す内容に緊張しているのだろう。 「彼女が家に来なくなって、一ヶ月は経った頃、偶然家の近くで彼女を見かけた」  堤が笑う。 「偶然じゃなかったんだけどな。彼女は別れた後も兄のことが諦められなくて、兄に会えそうな場所に現れていたんだ。彼女は俺を見るなり、泣きだした。泣いて、抱きついてきた。温かくて、柔らかい体に……性器が熱くなった。そこからはもうよく覚えていない。最低な話だが、ほんとに覚えていないんだ。次に気が付いたら、彼女とホテルにいた」  絞り出すように語る堤の細い声が震える。 「自分が放ったんだろう精液を見て、一気に目が醒めた。なんてことをしたんだっていう罪悪感しかなかったよ。トイレで吐いた」  堤が大きく喉を鳴らして、何かを呑み込んだ。 「背中に触れる彼女の手も、自分の体も、何もかも汚く思えて、その場をとびだした。それからだ。自分でしても、射精の後は、いつも苦しい。性器や周りの毛に付いた精液を拭き取りながら、汚いなといつも思う。AVの類はあれから一度も見てない。女性の体が見れなくなった。マスターベーションだって、しなくていいなら一生したくない。でも、そうもいかないだろ。放っておくと、どろどろとしたものが溜まっていって、自分の体から変な匂いがする気がした。……向かいに座ってて、しなかったか?」  由宇はぶんぶん首を振った。 「一度、どれだけしないでいられるか試してみたことがある」 「どうなったの?」  堤はさも嫌そうに「夢精した」と言った。 「あー、まあ、せずに寝るとそうなるよね……」 「向井もか?」 「夢精したことない男なんていないんじゃない?」 「そうなのか?」 「うん、だいたい、俺の周りでは。俺なんて抜いて寝ても、したことあるよ」  中学生で精通して以降、ほとんどの男が通る道だろう。由宇にもその不快さはよく分かる。目覚めてすぐ、股間部分に妙な感じがする。ズボンと下着をまとめて引っ張って中をのぞくと、白い粘り気のあるものがべっとりと付いているのだ。ため息と共にティッシュで股間を拭き、汚れた下着を親に隠れて洗面所で洗う。洗っても洗っても完全にはきれいにならないので、母親あたりは気付いていたかもしれない。けれど、今日まで何か言われることはなかった。それもあわせて、実に居たたまれない経験だ。 「それからは、そういう気持ちを遠ざけようと、ますます勉強に没頭した。数学が一番良かった。一問一問、解いていく過程が明解だから。真面目な優等生の中身がこんなのでひいただろ」  殊更自分を貶めるような言い方に、由宇は再び強く首を振った。  真面目。優等生。それは由宇が堤に対して貼っていたラベルだ。何度か直接堤に言ったこともあったかもしれない。その度に堤はじくじくと胸を痛めていたのだろうか。 「ごめん。俺、堤が言われたくないこといっぱい言ったし、聞かれたくないこと、たぶん、いっぱい聞いた」 「……そうだな」 「なんでそんな大事なこと話してくれたの?」 「なんでだろう。一番は、向井ならどう思うか聞いてみたかったからかもしれない」 「俺?」 「向井はびっくりするほど性に自由だろう。向井ならこんな話も一蹴してくれるんじゃないかと思った。ごめんな、気持ち悪かったな」 「気持ち悪くなんてない」  堤が話してくれて良かった。さもなければ、これから先もそうと知らないうちに由宇は堤を傷つけ続けていただろう。そして、いつか耐え切れなくなった堤に、そっと距離を置かれていたかもしれない。そう思うと、由宇はぞっとした。 「向井ほど器用なら、もっとうまくやれたかもしれないな」  そんなことない。由宇は今まで一度たりとも、たった一度のセックスですべてを失くしてしまうような経験をしたことがない。  堤は、学校で会う同年代の女子とは全く違う雰囲気をもつ、兄の彼女に恋しかけていたのかもしれない。でもそれは、自覚される前に、望んでもいないセックスで幕を閉じる。そこで、ラッキー、ふられた心の傷につけこんで、落としてやろうとはならなかった。堤は自分を責め続けた。自分で抜く行為にすら罪悪感を感じるほどに。  ふと視線を落とすと、堤の制服のズボンの股間部分がふっくらと盛り上がっていた。 「堤、それ……」 「あぁ、……あぁ、気にしないでくれ」 「いつから抜いてないの……?」 「いつだったかな……」  この程度であれば、痛くて歩いて帰れないほどではないはずだ。堤は家に帰って処理するのだろうか。由宇のようにペニスが膨らむにつれ充実感が増し、男に生まれて良かった、とこぶしを握るような強烈な絶頂感が脳を麻痺させることもなく。ひくひくとペニスを痙攣させ、射精して終わり。そうして、白く濁った精液で汚れた自分の手を見て、また暗い背徳感に独り苛まれるのだろうか。昼間なのにカーテンを閉め切った薄暗い部屋で、両肩を落として深く項垂れる堤の姿を想像して、由宇は胸が痛んだ。  由宇は一つ心を決め、ベッドに横たわる堤の側へにじり寄った。そして、堤の制服のズボンのファスナーの引き手を指でつまむ。  ジジジという音に、堤が跳ね起きる。 「なにしてる」  堤が、信じられないものを見るような目で、由宇の顔を見ていた。 「俺に任せて。やってあげる」  再び伸ばしかけた由宇の右手首を、堤がとっさにつかむ。それは拘束のためというよりも、押しとどめる意味合いが強いように由宇には思えた。堤の手にほとんど力は入っていない。由宇は左手でそっと、堤の手を引き剥がした。 「大丈夫、大丈夫。俺、結構うまいと思うよ」  由宇は意識して明るく軽い言い方をした。その肩を軽く押しただけで、堤の上体は再びベッドに戻った。定まらない視線を天井にさ迷わせている。従順だ。状況に思考が追い付いていないのかもしれない。それほど堤にとってこの状態は異常なのだろう。 「目閉じててよ」  由宇は堤の額にかかる前髪を指で払いのけ、手のひらを堤の目の上にあててまぶたを閉じるよう促した。由宇が手を離しても、堤は両目を閉じたままだった。硬くなったペニスさえ見なければ、まるで眠りにつく前の子供のようだ。その瞬間、由宇は心臓がきゅっと引き絞られたような痛みを感じた。普段はどこにあるか分かりもしない臓器が、今はその存在を主張するようにきゅんきゅんと鈍痛を放つ。いつもすべてを悟っているような堤の無防備な所を今自分は見ている。そう思うと、自分より十センチも背の高い、クラスで一番賢い男のことをかわいいと感じていた。  由宇は、堤のファスナーをすべて下ろし、下着と一緒にズボンを堤の足からすばやく抜き去った。Tシャツをたくし上げて、半起ちのペニスをぎゅっと握ると、堤は息を詰めた。  それまで気にならなかったエアコンの送風音がやけに大きく響く。自分は何をしているのだろうと由宇は思う。自分の部屋のベッドの上で、クラスメイトの下半身を剥いて、ペニスを掴んでいる。現実味はこれっぽっちもなかったが、自分のしていることは間違いではないという妙な確信が由宇の中にあった。だって、放っとけない。このまま帰したら、自傷行為のようなオナニーをすると分かっていながら、黙って行かせることは由宇にはどうしてもできなかった。  丸くした右手で竿の根元を掴み、皮を伸ばすようにゆっくりと引き上げる。先端の穴からは透明な液が流れ出て、二、三度くりかえすと、手の動きは滑らかになった。  「大丈夫? 気持ち悪くない?」と由宇が堤の顔を伺い見ると、堤は無言で首を振った。マスターベーションなんて一生したくないと言うから心配したが、安心して由宇はペニスを扱く手を速める。上下上下を繰り返すうち、熱いペニスはどんどん硬さを増していき、あふれる液は量を増した。ぐちゅぐちゅと濡れた音が響く。同じ男だ、力の入れ具合も手を動かすスピードも心得ていた。 「はぁ、んっ、……」  噛み殺しきれない声が、堤の口からもれる。それは、由宇が初めて生で聞く、男の喘ぎ声だった。良かった。気持ち良くなってくれてるんだとほっとする。  由宇は左手で適当に放っていた自分の制服のズボンをまさぐった。ポケットから未使用のコンドームを取り出すと、歯で袋を破って、中身を摘まみ出す。サイズが同じで良かった。薄紫色のゴムは堤の反り返ったペニスをぴったりと覆った。  自分でする時は、できるだけ快感を長く味わいたいので、射精までの時間を引き延ばすようなオナニーをした。けれど、堤はおそらく早く終えてしまいたいはずだ。由宇は躊躇なく一気に射精まで追い上げていった。 「むか、もう、……でる、から」 「いいよ」 「だめ、だめだ」 「なんで?」 「……っ」  親指の腹を使って裏筋をしごいてやると、堤は「あぁ~、むか、それ、それだめだ」と感じ入った声を上げた。気持ち良いのだろう。由宇もここは大好きだ。あとは、ころんと丸みを帯びた先端ときゅっと絞られた窪みの所。そこだけを繰り返し擦っていると、堤は堪え切れないように腰を振った。射精が近いのかもしれない。 「ああ、あ、いく、はっ、……」  熱い息づかいを抑えきれない様子の堤に、由宇のペニスもじくじくと熱が溜まっていた。人が気持ち良さそうにしているのを見ると、由宇も気持ち良くなってくる。そういえば由宇もしばらくしていなかった。最後に抜いたのはいつだったか思い出せない。 「いく、むか、いく、……」 「はぁっ」  堤が射精すると思った瞬間、由宇は自分のペニスを短パンの上からぎゅっと握った。ほぼ同時に由宇も射精していた。堤の隣へ横向きにばたんと倒れこむ。静かな部屋に、ふたりぶんの荒い吐息が重なり合う。  少し落ち着いてきた頃、由宇は目の前にある赤い耳に向かって誇らしげに言った。 「ね、俺うまいでしょ? オナニー好きだから、手コキには自信あるんだ」  堤は仰向けになったまま、荒い息の合間に「お前は……。気持ち悪くないのか?」と言った。 「全然。初めて男のちんこ握ったけど、抵抗ないもんだね」 「……汚して、悪かった」 「え? これ堤じゃないよ」  堤の精液は、すべてコンドームの精液溜まりの中に納まっている。部屋に漂う独特の生臭い匂いは、由宇が短パンの中に吐き出したものだ。 「着けるの間に合わなかった。これは俺のやつ」 「同じ匂いがする」 「そりゃそうだよ、同じ男だもん」  男の体は定期的に精を吐き出すようにできている。射精は自然な行為で、そのことで堤が負い目のようなものを抱く必要は全くない。 「みんな同じだよ」
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