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7
期末試験まで一週間をきったその日、放課後の図書室はひどく混んでいた。テーブルには、飛び石のように離れた空き席しかない。
二人ほぼ同時に顔を見合わせる。
「どうする?」
「堤はこういう時どうするの?」
「俺は図書館に行く」
「図書館?」
堤は学校の図書室が混みあっているときは、市立図書館で勉強しているらしい。由宇は、一も二もなくついて行くと答えた。
二人並んで電車に揺られる。
図書館は学校の最寄り駅から三駅先。そこは、由宇の自宅と同じ駅でもあった。もしかしたら、これまでも図書館へ通う堤と駅ですれ違っていたかもしれない。制服や持っている鞄で同じ高校に通っていることは一目で分かるが、由宇は一度も気にしたことがなかった。だいたい、かわいい女の子がいないか、階段の下からなんとかスカートの中がのぞけないかしか見ていなかった。
駅に近づくにつれ電車は次第に速度を落とし、やがて止まる。開いたドアから、堤の後を追ってホームに降り立った。
見える景色も流れる音楽もアナウンスも、今朝と何ら変わらないのに、由宇は妙に浮足立っていた。
図書館へは歩いて行けないこともないが、駅南口からバスが出ていたはずだ。堤はいつもどうしているのか、由宇が問おうとしたところで、不意に強く顔面を打ち付けた。すぐ前を向いていた堤が突然立ち止まったのだ。由宇の後ろを歩いていたスーツ姿の中年が、舌打ちして脇から追い越していく。それに形だけぺこりと頭を下げ、由宇は堤の制服をつまんだ。
「堤」
堤は立ち尽くしていた。川の流れに突きささった棒切れのように、二人の所で改札から出てくる人波が割れる。
「堤?」
由宇が横に並んで、少し高い位置にある堤の顔を見上げると、その表情は凍り付いたように固まっていた。その中でも唯一、瞳だけが、激しい動揺を表し揺れている。怪訝に思い、由宇がその視線を手繰り寄せるようにたどっていくと、行きつく先にいたのは一人の女の人だった。
女の子というには、大人びている。クラスメイトとは違うしっかりと施された化粧、ゆるくパーマのかかった茶色い髪、服装からして、明らかに年上だ。
堤とその女の人が頭の中ですぐに結びつかなかった由宇は、もう一度視線を堤に戻し、その固い表情を確認してから、再び女の人を見た。間違いない、堤はあの人を見ている。
誰だ?
こんなにあからさまに見られているにも関わらず、女の人は二人の視線には全く気付いていないようだった。待ち合わせでもしているのか、同じ所に佇んだまま手元のスマホを操作したり、旅行会社の店頭パンフレットを眺めていたりしていた。
不意に、女の人の視線が上がり、こちらを向こうとしたそのとき、
「堤!」
堤が身をひるがえし、駆けだした。
由宇の声に弾かれたように女の人がこちらを見た。
由宇は女の人と堤とを交互に見やって、堤の後を追いかけた。一瞬女の人を見て出遅れたのが災いし、堤の背中はすでに人混みに紛れかけていた。
「ちっ」
人混みを避けながら駅のコンコースを走り抜けると、視界が開け、駅前広場に出た。その先は複合商業施設へと続いている。何となく、堤はそっちには行っていない気がした。辺りを見回しながら小走りで進んでいると、危うく人にぶつかりかけた。由宇は間一髪で避け、すみませんと詫びたところで、木陰のベンチに堤の姿を見とめた。
上がった息を整えながら、由宇は一歩一歩近づく。
堤はベンチに深く腰掛け、膝のあたりに肘をつき、背を丸めて、頭を落としていた。
由宇は無言で、隣に座った。
呼吸はずいぶん落ち着いてきたが、後から後から玉の汗がこめかみを、首筋を、流れ落ちる。学ランの前を全開にし、さらにシャツの胸元のボタンを二つ開けて、ぱたぱた動かして風を送り込んでみたが、汗は引きそうになかった。
堤も暑いだろうに、墓石のように微動だにしない。
どれくらい時間が経っただろう。
渇いた喉がくっつき、頭がくらくらしてきた頃、由宇は「うち、来ない?」と堤を誘った。
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