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ーー腹が、熱い。
右脇腹に違和感……内臓をやられたか。
「……俺の……勝ちだ。一馬……!」
俺に刃を突き立てた男が嘲笑う。
だが、俺もその男の首元にサーベルを斬り下ろしていた。その傷口からはおびただしい量の血が流れている。
ーー相討ち……と言いたいところだが。
「くそったれなこの世界は……永劫回帰の理の果て……永遠の混沌に……沈むっ!」
「まだ……まだだ! 来栖っ……」
俺は絶叫すると、力を振り絞って剣を斬り下ろした。来栖は歓喜の笑顔を貼り付けまま崩れ落ち、支えを失った俺は大きくよろめく。
サーベルを杖代わりになんとか踏ん張るが、揺らぐ視界に込み上げるものを堪えきれず、思わず嘔吐した。
吐いたのは大量の血。
ちくしょう……まだ……まだ俺はっ!
視界が霞む。心なしか地面も揺れている。長くは持たない。
俺は剣で体を支えながら歩いた。目の前……眩く光る石の柱へ。
磔刑の聖女の為に造られた、十字の形をしたその柱には、布にくるまれた赤ん坊ーー俺の娘が縛り付けられている。
あんな場所に縛り付けられて……今助けてやるからな……
何が『世界の意思』だ。
何が『永劫回帰の理』だ。
何が『くそったれな世界を闇に還す』だ。
どいつもこいつも……好き勝手言いやがって。
確かにこの世界はクソだ。腐ってやがる。でも、これからあの子が、俺の娘が生きる世界なんだ……愛しい、護るべき世界なんだ。
光が強さを増した気がする。血と一緒に力が流れ落ち、歩くのが難しくなってきた。
……ちくしょう。あと少しなのに!
偉大で尊敬する老師。優しく強かった狼人の英雄。何度も刃を交えて、漸く最期に解り会えた半狼人の少女。忠誠を誓う主にして愛しい妻。俺を愛してくれた女性。勇気ある3人の親友にして頼れる騎士……
みんな、先に逝ってしまった。
俺に残されたのはこの……
娘の名を呼ぼうとして、俺はハッとした。
この子の名前、何て言ったっけ?
はは……父親なのに……俺は自分の娘の名前も……
脳裏に浮かぶ娘の母親の顔。
輝く亜麻色の髪の……哀しみと嬉しさがない交ぜになった笑顔を血と涙に濡らした少女。
話したいことも、聞きたいこともたくさんあったのに。
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