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「…奈緒?」
何に気がついたのか奈緒は突然立ち止まり、車道を挟んだ向こう側の歩道を見つめていた。その顔はひきつり歪み、ただ事ではないと知らせて来る。
一体どうしたのだろうと奈緒に倣い隆明も車道の向こう側の歩道を見つめる。行き交う人の中で1人立ち止まってこちらを見つめる者がいた。距離があり顔は良く見えないが、若そうな細身の男。彼を見て奈緒は動揺しているのだろうか?
「どうし」
「ごめん隆明」
不意に奈緒が口を開き低い声で告げる。
「え?」
「先に帰れ。」
「…急にどうしたんだよ。あの人知り合い?」
「知り合い、なんかじゃ…ねぇよ。なんでもない。本当に…」
「ちょ、奈緒!」
「いいから先に帰れ…ッ」
奈緒は驚くほど強引に隆明の背を押し、先に行くようグイグイと促した。うつむいているため、彼の表情は見えない。隆明は訳もわからず奈緒に押されるがままになり、ちょっと待って、と奈緒の手を掴もうとした。
「…頼むから。」
奈緒の小さな声に隆明は動きを止める。なんでもないなんてはずがない、しかし掠れた声で奈緒にいじましく懇願されては、言うことを聞くしかなかった。隆明は奈緒の言う通りそのまま背を向けて歩き出す。朝といい今の様子といい、奈緒に何か良くないことが起きていることは明白だった。それでも奈緒は隆明が立ち入ることを許してはくれない。大好きな奈緒が苦しんでいるなんて不安でおかしくなりそうなのに。
少しして隆明が後ろを振り返ると、車道を渡り道の向こう側へと向かう奈緒の姿が見えた。
…おそらく、あの細身の男の元へ。
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