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島津紙パルプ商事株式会社(略称SK商事)は紙の専門商社で、日本有数の製紙会社である島津製紙の子会社として流通部門を担っている。
従業員数は本支店合わせても100名にも満たない中小企業だが、ワンマン経営の社長の下、年商は800億を超える。
その社長の息子である俺が、カナダの企業での修行を終えて帰国したのがちょうど3年前。
この若さで副社長というポストを与えられ、俺はやる気と緊張がないまぜになった高揚感を感じていた。
その着任日と同じ日に、大沢さんの父親が亡くなった。
本社の朝会で着任の挨拶をした後、副社長室に戻る前に総務課に寄った俺は真っ青な顔で帰り支度をする大沢さんに気付いた。
総務課長に尋ねると、朝会の直後に実家から電話が入り、父親が危篤だと知らされたので早退するとのことだった。
ふと蘇ったのは、昨年、母親の危篤の報を受けてカナダから駆け付けた時の胸の痛みだ。
間に合うわけがないと知りながらも、どうか間に合ってくれと祈りながら見上げた空はどこまでも青く、日本へと繋がっていた。
その日の内に大沢さんの父親は鬼籍に入り、翌日に執り行われた通夜に俺は会社の代表として総務課長と共に参列した。
もちろん副社長の俺が行く必要などなかった。
それなのに、どうしても行かずにはいられなかったのは、あの真っ青な顔だった大沢さんが気になって仕方なかったからだ。
取り乱すこともなくその日の仕事の引き継ぎをしてから、申し訳なさそうに総務課を出て行った彼女の気丈な態度に逆に心配になったから。
故人はまだ働き盛りだったため弔問客も多かったが、一人娘である大沢さんは喪主を立派に務めていた。
総務課長を先に帰らせた俺は、参列者に静かに頭を下げる大沢さんを遠くから見ていた。
最後に残ったのは白川さんで、大沢さんは大丈夫とでもいうように親友に痛々しい笑顔を見せていた。
近親者のみの通夜振る舞いが始まるということで、白川さんは後ろ髪を引かれる様子で帰って行った。その直後。
受付のテントの中で崩れるように長机に手をついた大沢さんに、俺は思わず駆け寄っていた。
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