4.遠野静子の過去

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 彼は私のとった行動の意味がわかったように少し厭な表情を見せる。  それもそのはずだ。  そう・・私が仕事の最終面接を受けて合格が決まったところは会社などでなく個人の家だ。  ドイツの事業家、長田ヒルトマンの家の家政婦兼家庭教師の仕事だ。  会社や公務員でもなくただの事務職でもない。彼も、私の両親も望んでなどいない就職先だった。  両親や彼なら長田グループの会社の一つにでも入ればいいと言うだろう。  雇用の条件はまず語学力があること。特に英語とドイツ語は完璧であること。  教員免許を絶対に持っていること。自動車の免許は必須。そして小学校教育から大学院までの課程の教育が全てできること。  ある程度のスポーツもできないといけない。  その家にはまだ小学校低学年の一人娘さんがいるからだ。  その娘さんに毎日つきっきりで教育を叩き込み大企業の事業を継承することができるくらいの教養を身につけさせる。  それが私の依頼された仕事の一つだ。  最初は自信があったけれど面接を受ければ私の想像を超えて奥が深いものだとわかった。  教育はどこに出しても恥ずかしくないマナー、作法、身のこなし方などを娘さんに身につけさせること。  他にも文学の素養、西洋の古典文学から日本のものまでを徐々に読ませ理解させること。  私は教育の基本を娘さんに付きっきり、しかも住み込みで教えなければならない。  家政婦として当然ながら料理などの家事全般は出来なければならない。  普通の家庭料理とは別に外賓用の料理専門のコックも別にいると聞いた。  お茶やお花、ピアノのレッスンなど特殊な習い事は専門の教師を別に雇っているということだ。  一次面接に来ていたのは二〇人以上はいたと思う。  そのほとんどが高学歴の女の人、しかも教員の免許、英検の一級の資格を持っている。  この仕事が安定した仕事だとはとても思えない。  この家の何かの事情で首を切られるかもしれない。けれどお給料は大企業並みにある。  大企業のように終身雇用などとは縁遠いかもしれないが、私はそんな先のことまで考えていない。
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