1.長田邸(プロローグ)

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 邸宅が完成したのはこの春。  日本が高度経済成長を遂げ国民生活も大きく変わろうとしていた頃のこと。  この家の主人、ドイツ出身の実業家「長田ヒルトマン」は元々東京で貿易事業を営んでいた。彼は日本の文化、風景を愛してやまなかった。  ヒルトマンが京都方面に旅行した時に出会ったのが「由希子」という日本女性だった。  彼はよく周囲に言っていたらしい・・「由希子はまるで桜のような人だ」と。  それからヒルトマンは由希子と結婚し、しばらくして娘が生まれたが娘がまだ小学校に上がる前に由希子と別れ、一人娘はヒルトマンが引き取ることになった。  理由はわからない。  日本で業績を伸ばすヒルトマンに再婚の話が次々と持ち上がるのは当然だ。父親であるヒルトマンも娘には母親が必要だと考えるのも至極当然のこと。再び彼は日本の女性である「多香子」と結婚した。いや、しなければならなかった。伴侶がいないと事業家としての信用にも関わるからだ。  多香子は日本の財閥系の長女だった。  周囲の人の話では完全な政略結婚だということだ。  多香子は元々ビジネスのやり手だったこともあり事業に腕を振るい始めた。  けれど、それは娘にとっては不幸だった。  義理の母とはいえ多香子が家にいることは一年のうち数えるほどだった。  娘の世話、教育などは、雇い入れの家政婦が受け持つことになった。    ヒルトマンは東京での事業に成功すると、関西の港町である神戸の貿易事業の開拓に乗り出し軌道に乗り出すと商業関連の会社の運営も手がけだした。  山と海に囲まれた神戸の美しさに惹かれここを安住の地にしようとしてヒルトマンが建てたのがこの邸宅だ。  だがヒルトマンはここに住むようになる前、持病が悪化して突然この世を去った。  美しい神戸の片隅の町に住むことをヒルトマンが楽しみにしていた矢先の出来事で長田一族は家のことはもちろん事業の引継ぎや役職員の交替で大騒ぎとなった。  結果、ヒルトマンの実弟グストフが商業関連の会社を動かすことになり、神戸と東京の貿易事業は後妻の多香子がかけ持つことになった。     娘が小学四年生になってすぐのことで娘の悲しみは言うまでもない。  娘はずっと楽しみにしていた・・新しい家で父と過ごす日々のことを・・
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