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視線で促され、口を開けた無機質な箱の中へ入っていく。
「13階、でしたっけ」
「そうです。ありがとうございます」
やけにゆっくりと、かちりと音がしそうなほどしっかりと目を合わせて、礼を言われる。子供の頃からそう躾けられでもしたのだろうか。妙に居心地が悪くなり、視線をそらす。
「あ、そうだ……」
なにかを探る様子に再び顔を上げると、目の前に黄味がかった小さな紙を差し出してきた。
瀬戸 晃良。名前まで爽やかな印象だ。
「瀬戸と申します。ここで営業をやっています」とエレベーター内の案内板を指差しながら言った。
「白坂です。すみません、普段滅多に名刺交換をする機会がないもので、手元になくて…」
白坂さん、と小声で呟き、大丈夫だと頷いた。
今日は黒に近い紺地に白のストライプがごく細く入ったすっきりとしたデザインのスーツを着こなしている。予想に違わず、営業だったようだ。
瀬戸はこの春から本社に異動してきたらしい。先週の出来事は、週一回のミーティング前に、本社での取引先の情報整理や、こまかな勉強を行おうと思った矢先の事だったようだ。
「先週お会いしたときも、自分ではかなり早起きしたつもりだったのに、白坂さんがいて驚いたんです。いつもこんなに早く来られているんですか?」
「この時間なら、電車もエレベーターも混まないですから……」
その言葉に頷きながら瀬戸は続ける。
「確かに多いときには窒息しそうになりますよね、ここのエレベーター……しかも一度行ってしまうとなかなか乗れないので、つい焦ってしまって。お恥ずかしいところを見せてしまいました」
そう苦笑いする様子は、最初の印象よりもさらに若く見える。
「こんなに人がいなくて楽なら、俺も毎日早起きしようかな」
そうしてしばらく経つうちに、本当に毎朝、彼と顔を合わせることになってしまった。
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