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自分に向けて差し出された片岡の右手を見て、氷動は思った。
先ほど片岡警視長が言った「優秀すぎる」という言葉は、警視庁を突然退職するよう言い渡された自分に対する慰めなどではなく、自分を辞めさせる本当の理由だったのか。
この先の話を聞いた後の拒否権はない。
すなわち協力しなければ、死あるのみという意味であろう。
今、自分は命を賭けた、最後の決断をしなければならない。
昨日、いや、ここに来るまでは思いもしなかった、現実離れした世界の入り口に氷動は突然立たされたのだ。
己の身が想像を超えて急変する予感に恐れをなして、他の人間なら土下座してでも今後の関わりを断ちたいと懇願するか、この場から逃げ出そうとしていたかも知れない。
しかし氷動は違った。
自分の実力を決して買い被りはしなかったが、自分の実力は充分知っているつもりだった。
そしてなによりも彼は冷たくも美しい仮面の下で、獰猛な獣を密かに鎖でつないで生きてきた男だったのだ。
別の世界へ行けば、この鎖を引きちぎることが出来るかも知れない。
氷動は今までの人生を捨てることに、まったく未練を感じてはいなかった。
「よろしくお願い致します」
と、迷わず片岡と固く握手を交わす。
それは氷動がアンダーグラウンドへの扉を自ら開いた瞬間だった。
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