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悠斗は体育館の隅っこに、ひとりで目を閉じて座っていた。眠りから覚めたばかりだった。館内のすべてのドアと窓は開け放たれていて、心地良い風が押し寄せてくる。差し込んでくる陽の光を顔に浴び、瞼の裏で幾重にも重なったシャボン玉が踊って消えた。ふいに、断続的に鳴っていたドリブルの音が途切れた、と思ったら、桜井に名前を呼ばれて、反射的に目を開けた。視界にまず入ってきたのは、履き慣れたアシックスのバスケシューズだった。靴紐は蛍光色の黄色。元々靴に付いていた紐は白だった。桜井と同じ色に取り換えたのだ。体育座りをしていた悠斗の爪先のすぐ傍に、バスケットボールが転がっていた。慌てて立ち上がり、バスケットコート内で一時停止している仲間たちを眺めた。彼らは皆、本当に動きを止めていた。一ミリたりとも動かない。ここに来て、悠斗はこれが夢だということを自覚した。よく見る明晰夢だ。そういえば音一つひとつにエコーがかかっ
ている。
中学の頃に所属していたバスケ部の先輩、同輩、後輩の中から、桜井の姿をすぐに見つけることができた。なぜなら、彼だけが動けるようで、こちらに向かって手を振っていたからだ。彼は悠斗から近い方のバスケットボードの下に立っていた。不思議な事に、桜井だけは中学の幼さが残る顔ではなく、さきほど再会したばかりの大人びたそれだった。身に着けている衣服も、ファミレスの制服だった。白地に黒いストライプの半袖シャツ、下は黒いスラックス。
「星野、俺の足に向かって投げろ」
はい、と返事をした。ボールを片手で掴み桜井に向かって投げた。が、久しぶりの投球のせいか、コントロールが狂った。そのくせスピードは速い。シュッと風を切る音がした刹那、桜井の顔にバスケットボールがめり込んでいた。音がした。変な音だ。バシン、ドンといった物が人体に当たる音ではなく、グシャっと――柔らかい何かに鋭角的な道具が刺さったような――。
桜井の顔からは、ボールがなかなか落ちてこない。顔にくっついたまま離れない。重力の法則が通用しない、夢ならではの事象。
「先輩、大丈夫ですか」
悠斗は思わず叫んでいた。
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