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「それでこのゴールデンウイークはギックリ腰でずっと寝込んでいたというわけだ」
職員室。隣の机に座る社会科の牧が、コーヒーを啜りながら言った。
「そうなんですよ。せっかくバイクで湘南まで行こうと思ってたんですけど」
「おお、バイクね。好きなんだっけ?」
「まあそれなりに」
「ゴールデンウイークの湘南なんて渋滞に巻き込まれるだけだって」
「それもそうなんですけどね。ギックリ腰ってのがなんだか……」
老いを感じる、と言おうとしたが、西より一回り上の牧の前ではやめておいた。
西はもう何度目になるかわからないため息をついた。ゴールデンウイーク初日、ライディングシューズを履いているときにギックリ腰に見舞われたのだ。楽しみにしていたバイクと湘南の、すぐ目の前でのことである。
「それにしてもあの校長、優しい声して鬼畜なことするねえ。西先生も大変だな。担当教科は化学なのに、若いってだけで体育科と一緒に雑用なんてやらされてさ」
「俺もう三十一なんですが」
若い、と断言できるほど若くもないだろうに。特に高校生が周りにいる環境であると。
力なく笑うと、パソコンの入った段ボールを運んだあの日を思い出す。最後に段ボールをつぶす作業が一番堪えた。最後のほうは、おしゃべりな伊藤でさえ無言になっていた。
「俺もそのくらいの齢のときにゃ、よく召集されてたぞ。卒業式の椅子並べたり図書館の本棚並べ替えさせられたりな。若い男教師は重要な労働力なんだよ、この学校は。じいさんばあさん先生が多いからな」
四十代半ばの牧はそう言ってコーヒーをデスクの上に置いた。
だったら伊藤の言う通り男子生徒でも使ってくれと思う。あの有り余ったエネルギーに頼ったほうが、はるかに建設的だ。
牧が席から立ち、黒のビジネスバッグの中から煙草を取り出した。
「ま、向こうでバイクのことでも教えてくれよ」
牧はそう言って煙草を一本差し出してきた。黒のビジネスバッグによく映えた白色の一本線。
ヤンチャな生徒には「吸うな」と注意しているところを何度か見かけたことがあるが、きっと吸わなきゃやってられなかったんだろうなあ、この人も。その気持ち、めちゃくちゃわかります。
バイク、めちゃくちゃ楽しみにしていたのに。
西は煙草をありがたく受け取った。
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