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コーヒーを手に給湯室から職員室に戻ってくると、結城奈央が西の席で書きものをしていた。
「ご、ごめんなさい! あの、いらっしゃらないかと思って……」
奈央は手元のメモを西に差し出した。ムーミンの絵がプリントされているメモ用紙の真ん中には、丸くてかわいらしい字で『これ食べて元気出し』の『し』の途中で終わった文言が書かれている。
「あ、八ツ橋だ。京都行ったの?」
「は、はいっ。友達と……。あ、あの八ツ橋は……?」
「好きだよ。コーヒー淹れてきたところだからちょうどよかった」
奈央は心底ホッとした様子で胸に手を当てた。わかりやすい態度に、西の顔も思わず綻ぶ。
もらった八ツ橋をかじると、ニッキの風味が鼻に抜けた。コーヒーと合うとは思わなかったけれど、クッキーと似たようなものだ。コーヒーで流し込んでみると、まずまずだった。
「俺、そんなに元気ないように見えたかな」
コーヒーを置き、席に座って奈央を見上げた。もうすぐ昼休みが終わる。校庭からは男子生徒の笑い声が聞こえてくる。
「い、いえ……なんとなく、なんですけど……」
奈央が自分と話すたびに顔を赤らめていることに、西は前から気づいていた。こちらとして恋愛感情はないけれど、女性らしいその慎ましやかな反応はかわいらしいと思っていた。
だが今、西にとって奈央の反応はとてつもなく心休まるものである。
中和滴定の実験があった日、西は尻を触られるというセクハラを受けた。みんなが見てる目の前で、しかも男子生徒の佐々木によってーー。
ビュレットの割れる音にハッとして、西は叫んだ。
「ビュレット割れただろうが!」
これがいけなかった。西は自分の尻よりもビュレットを優先させてしまったのである。生徒に尻を撫でられたという現実をシャットアウトしたかったのか、今となっては自分の行動が理解できない。
そんな男教師の反応がおもしろかったのか、それからというもの佐々木含む男子生徒たちが、廊下や教室で通り過ぎるたびに、尻を触ってくるようになったのだ。
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