女子カイダン

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女子カイダン

「ご主人と別れて欲しいんです」  菊ちゃんがそう切り出したのは、彼女が中ジョッキを一気に空けた直後だ。酔いなんて回っていないうちから、そんなヘビーな話。せめて、私は酔っている状態で聞きたかった。  施設内にあるこの店は、昼間はレストランだけれど、深夜は居酒屋『天狗』になる。店長が近くの川で獲った鮎やイワナを出してくれる。塩焼きがとても美味しい。キュウリの糠漬けも私好みの漬かり具合。ビールのあとは辛口の日本酒が欲しくなる。  冬になると、たまに猪や鹿の鍋も出る。そのときは大勢の人が来るけれど、今夜は客の入りがぼちぼちだ。店長も暇そうに長い鼻をかいている。  料理だけでなく、ガラス張りで星空がよく見える二階の個室を、私はすごく気に入っている。いや、気に入っていた。次に来ることはもうないかもしれない。こんな最悪の思い出ができてしまった居酒屋に通うのは難しいかもしれない。  ――そうだ、最悪だ。  菊ちゃんは私の夫の同僚。家族を交えた親睦会のあと、夫から「きみと話したいって言ってる人がいるんだけど、連絡先を教えていいかな?」と聞かれた相手が菊ちゃんだった。  何度かメッセージのやり取りをしたあと、食事に誘われ、やってきたら、このザマだ。  嘘、だと思いたいけれど、夫には前科がある。付き合っているときに、どこの馬の骨かわからない女に骨までしゃぶられたことがあるのだ。  そんな前科がありながら、自分の不倫相手の連絡先を妻に教えるなんて、夫もどうかしてる。見た目通り、頭が空っぽなのだろうか。  不倫相手の奥さんにいきなり離婚を迫るなんて、この子もかなりおかしいのかもしれない。せめて、夫から「別れよう」と切り出すべきであろう。
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