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元夫とは毎日職場で顔を合わせるけれど、昔も今も相撲に夢中で私のことなんか気にもしていない。昔みたいに相撲の技の練習台にされそうになっても、逃げるすべを覚えたし、そんな職場でも夫のことを思えば耐えられる。
まぁ、一瞬だけ、菊ちゃんとの仲を疑ったけれど、たぶん、私から別れを切り出すことはなかっただろう。骨の髄まで愛しているのは、間違いではない。
「六枚……」
「あ、すみません、季節のフルーツとお水二つください。氷なしで」
「……奥さん、いい脇していますよね」
酔っ払いに成り下がった菊ちゃんの声に、思わず、店員を呼び止めた手を下ろす。胸を見られることは多いけど、脇を見られるとは。ちょっと……いや、かなり恥ずかしい。
まぁ、菊ちゃんが本当に好きな部位は脇ではないことくらいは知っているけれど。
「奥さんて、いい体していますよね」
「菊ちゃん、飲み過ぎ」
「一回だけ相手をしてくれませんか?」
「菊ちゃん」
「一回だけ! 一回だけでいいので!」
……この酔っ払い、ここに置いていこうかしら。
そこらの男と同じようなことを菊ちゃんから言われるなんて、本当に残念だ。
カラコロよく響く下駄を履いた店員が無言でグラスと皿を置いていく。『天狗』の人たちは他人の話に興味はないらしい。客が少ないので、羽を休めながら働いている。ガラスの皿に菊ちゃんが目をキラキラさせている間に、水を飲んで、皿を潤して、「ダメ」と答える。
一口サイズにカットされたフルーツ盛り合わせ。スイカがみずみずしくて美味しい。桃も甘くて本当に美味しい。『天狗』の店長が飛び回っていいものを調達してくれるからか、夏は美味しいものが食べられる。醤油とマヨネーズで食べるキュウリも美味しい。素晴らしい季節だ。
ただし、夫と菊ちゃんの仕事は多忙を極める季節けれど。
菊ちゃんの顔が「ダメですか」とたちまち歪む。仕方がない。無理なものは無理だ。
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