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ぱたぱたと明里さんのスリッパの音が遠ざかると、すぐにふたり分の足音が廊下から近寄ってきた。大女将であるおばさんも、俺たちの有りさまに驚いたようだ。早よあがりんさい、と言うふたりの声に村瀬さんは被せるように、
「お袋、あの部屋を使わしてくれ」
騒がしかった明里さんとおばさんが動きを止めた。突然の申し出だったんだろう。明里さんが高い声で、
「なに急なことを言うとるんよ」
「急じゃない。前に親父には話しとる」
何のことかな。あの明里さんがすごくオタオタしている。反対におばさんのほうは最初こそは驚いていたけれど、まるで想定済みって感じで落ち着いていた。
「寿明。あんた、本気なんじゃね」
「俺は最初から本気じゃ」
しばらくの間、村瀬さんとおばさんが無言で互いを見つめあっていた。やがて、おばさんは明里さんに何かを言いつけると、明里さんが慌てて外に出ていった。あ、夜だから明里さんは普通の格好をしてる、なんてどうでもいいことを村瀬さんの背中越しにぼんやり思った。
「……これは小泉くんもええと思うとるんよね」
念を押すようにおばさんが問いかける。まったくさっぱり何についての話をしているのか理解もできなかったけれど、村瀬さんの頭がこくりと動いたから、俺も小さく頷いた。
戻ってきた明里さんがおばさんに何かを渡した。おばさんはそれをすぐに村瀬さんに手渡す。なにを受け取ったのか気になって村瀬さんの肩越しにそっと覗いてみた。村瀬さんの手のひらの上にあったもの。あれは、鍵?
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