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「宿泊されているお客様のことはお答えできないって言ったんじゃけど……。なんか電話の声がすごく切羽詰まった感じだったらしくてね。志岐さまに事情を訊きたいけど、朝からお出かけになってるみたいなのよ」  だから明里さんは俺に今夜彼と会うのかを訊いてきたんだ。 「志岐さまを見かけたら私に教えてくれる? あ、でも昨日みたいなことにならないように気をつけてね」  明里さんのお願いと注意に神妙にうなずく。話の終わった明里さんは本館の方へと消えて、俺は残りの掃除を続けた。紅葉谷へ延びていた遊歩道の終わりにたどり着くと、竹ほうきを持ち上げて回れ右をする。帰りはてくてくと掃き浄めた遊歩道を歩いていると、昨日の朝に志岐さんが電話をしていた大きな木の下にさしかかった。  そうか。出かけているんだ、志岐さん。チェックアウトしたとは聞いていないから夜になれば戻ってくるんだろう。昨日見た彼の表情を思い出す。なんの話をしていたのかはもう忘れたけれど、臥せた目元や引き結んだ口はまだはっきりと思い出せた。  あんなに悲しそうな顔をするなんて、いったいなんの話を――。  そのとき、急に右のお尻がぶるぶると震えはじめた。これはポケットのスマホだ。仕事中はマナーモードにしているからだけど、あまりの振動に驚く。まだ途切れない振動に、電話で呼び出されているのだと気がついた。  山内かなと思って画面を見たら、村瀬さんの名前が表示されていて慌てて通話ボタンを押した。  なぜに志岐さんのことを考えていたタイミングで? 「カズト。もしかして仕事中じゃったか」  こんな時間に電話をしてくれるなんて初めてだ。それも仕事中かなんて気を使ってくれて、ちょっとこそばゆい。 「バイトは終わったとこ。村瀬さんこそ仕事中じゃないの?」 「今はちょっと休憩。二本あとの広島駅行きに乗車じゃ。そのあと、こっちに戻る臨時便に乗務する」  背後のざわめきからよく耳にするホームのアナウンスがした。今、村瀬さんは宮島口駅にいるんだ。
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