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……村瀬さん。
俺はもう村瀬さんしかいらない。
村瀬さんだけわかればそれでいい。
灰色の世界の中にいた俺を、あなただけが見つけてくれたんだ。
俺にカラフルな世界もあるんだって教えてくれたんだ。
だから、あなた以外に何も欲しくない。
あなたがいれば、それだけでじゅうぶんだよ……。
「……。そうだな。俺も同じだ」
耳元で囁かれた小さな声にハッとして、俺はしがみついていた力を弛めた。
間近で見上げる村瀬さんの顔。こめかみからほほを伝って、行く筋もの雫が顎へと滑り落ちてる。汗かなと思ったけれど、村瀬さんのかきあげた髪がびしょ濡れなのに気がついた。
そうだ。俺はボスに小突かれて海に……。
よく見たら村瀬さんは車掌の制服のままだった。その白い開襟シャツもずぶ濡れだ。そうか。村瀬さんは海に落ちた俺を助けてくれたんだ。
「村瀬さん、どうしてここに……」
訊ねた俺を村瀬さんは横抱きにすると、桟橋に接岸していた早川さんの船に軽く飛び乗った。そして、早川さんに船を出すように言った。
「待って。まだ志岐さんたちが残ってるよ」
桟橋に立ち尽くすふたりのニンゲンの影を見て村瀬さんに訴える。村瀬さんは俺をゆっくりと船に下ろして、笑顔で俺の頭を撫でた。
「カズトはやさしいな」
村瀬さんの表情が急に険しくなる。俺の言葉を無視して離れていく船の上から村瀬さんは、ふたりのニンゲンに向かってこう言った。
「岸田先輩。山岡先生。……あとはあんたらの好きにせえ」
いつの間にか終わってしまった花火の音に代わって船のエンジン音が響く中、俺は桟橋に取り残されたふたりのニンゲンの姿が小さくなるのをぼんやりと眺めていた。
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