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どういうことね、と聞くふたりに、
「カズトは生まれつき他人の顔が判らんのんじゃ。表情を掴むことができんけえ、相手の感情の起伏が読み取れん。俺らが『今、こいつは怒っとるな』とか『困っとるな』といったことが、カズトには簡単に認識できんのよ」
村瀬さんの告白にふたりは驚いたようだ。
「……じゃあ、もしかして、わしらの顔も判らんのんかの?」
小声で訊ねたおじさんに向かって、すみません、と掠れた声で謝った。
「謝ることなんかないんよ。こっちこそ辛いことを聞いてしもうてごめんねえ」
「そりゃ、えらい難儀じゃ。寿明の顔も判らんのか?」
「……それがなぜか村瀬さんの顔だけは判るんです」
村瀬さんは、俺と村瀬さんがお互いを想い合っているから顔の認識ができるんだって言ってくれた。別に医学的に証明された訳ではないけれど、俺は彼のその説は正しいと思っている。
その場を重苦しい空気が包む。それを破ったのは優しいおばさんの声だった。
「でも、それなら余計にうちでアルバイトしんさい」
「お袋っ」
「実はね、長年勤めてくれた合田さんが今月末で辞めるんよ。かといって代わりの従業員を雇うのもどうかと思っとって。ちょうどパートさんを募集しようとしとったの」
「合田のじいちゃん、辞めるんか」
「もう八十になるけえねえ。さすがに布団の上げ下げとか、きついって」
三人にはわかる内容のようだけれど、俺はさっぱり置いてけぼりだ。
「まあ、合田のじいちゃんの代わりなら……」
村瀬さんが考え込むように口元に指を添える。そのさまを見たおばさんが畳みかけるように、
「それに小泉くんのことを理解しとる人がおる職場のほうが、あんたも安心できるでしょう?」
ううん、と尚も低く唸る村瀬さんに、
「大丈夫じゃ、寿明。明里にも言うとくけえ」
おじさんがだめ押しの台詞を言った。村瀬さんは隣の俺の顔を見ると、
「カズトがやる、言うんなら……」
俺としては否はない。むしろ全く知らないニンゲンのいるところよりも安心だ。
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