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***  フェリーが桟橋に着くと、俺は少ないニンゲンたちの先頭に立って島へ上陸した。改札を急ぎ足で抜けてフェリーターミナルから出ると、広場のど真ん中に俺が来るのを待っているヤツがどーん、と四つ足で立っていた。  そいつはターミナルから飛び出てきた俺の姿を見つけると、カポカポと蹄を鳴らして近づいて来る。 「ボス、ごめん! 今日は時間無い!」  勝手に「ボス」と名付けた大きな牡鹿の背中をすれ違いざまにポンと叩くと、そいつはぶるるっと背中を震わせた。濡れた鼻面を向けて、ちょっと恨めしそうに俺を見送る。  どうせ、昼頃には旅館の中庭をうろうろするくせに。  俺は広場を突っ切ると、近くの道路に横付けされた鮮魚店の名前の入った軽トラの助手席のドアを開けた。 「おはようございます、早川さん!」 「おお、カズト、おはよう。ほんじゃ行くでぇ」  まだシートベルトを締めていないのに、早川さんは軽トラを発進させた。 「相変わらず村瀬はおまえに甘いのう」  裏通りを窓を開けて走る早川さんは咥え煙草でニヤニヤと言う。  早川さんは村瀬さんの幼馴染みで宮島で鮮魚店を営んでいる。島の飲食店や宿泊施設をお得意さまに持っていて、自分でも漁に出たり牡蠣の養殖もする。早川さんも親の代から続く店を切り盛りしている人だ。 「カズト。夕方、時間空いとるか? ちょっとイカダの様子を見に行くけえ、おまえも来いや」 「うーん、明里さんがオッケーくれたら行けるかな? でも長い時間は無理だよ。俺、船酔いするから」  がははっ、と快活に笑う早川さんはとてもオッサンくさい。なのに可愛い奥さんと子供もいる子煩悩パパだ。村瀬さんと俺の間柄に対しても偏見なく接してくれる。 「今日は、ええハモが入ったんじゃ。お客の残りでも食わしてもらえ」 「うん。夕飯、期待しとく」  紅鹿館の裏口に着くと「荷物運びくらいせぇ」と言われて発泡スチロールのトロ箱を抱えて厨房に入っていく。厨房は朝食時間で戦場になっているから、俺は邪魔にならないようにトロ箱を置いた。
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