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 おまけに夏休みに入ってからは、明里さんのふたりの子供たちに勉強を教えたり遊び相手もするようになった。とても忙しくて大変だけど、賄いつきで泊まりの時は温泉にも入れるし、時給も良いから満足している。  紅鹿館には創業当時から建つ本館と観光ホテル形式の新館があって、俺が村瀬さんに冬の夜に連れてこられたのは本館のほうだった。  本館は広い日本庭園に面した二階建ての日本家屋で部屋はすべて和室だ。本館には主に昔からの常連客が泊まりにくる。日本庭園の端には離れの特別室が三つ建っていて、昔はやんごとなき人たちが利用したらしい。特別室には部屋備えつけの露天風呂もあるらしいけれど、俺はその離れに入ったことはない。  そして本館と廊下で繋がれた新館は、おじさんの代になって建てられた五階建てのホテルだ。高級旅館の豪華なもてなしがわりとリーズナブルに体験できる宿としてファミリーや外国人観光客に人気だ。大きな宴会場やラウンジもあり、結婚式なんかも執り行われている。  俺は本館の雑用が主だけれど、人手が足りないと新館にも駆り出されたりしている。  仲居頭のタキさんを探して二階の廊下の電灯を取り換えると、そのまま客室の掃除に駆り出された。 「カズちゃん。そこの鴨居、気になるけえ拭いといて」  祖母くらいのタキさんはテキパキと指示を出して俺をこき使う。言われるままに従っていると廊下から「小泉くん来てえ!」と大きな声がした。 「クモっ! クモが大きな巣ぅ張っとるぅ!」  仲居のユウコさんが飛び込んできて、俺の腕を掴んで大騒ぎをすると「クモの巣くらいで騒ぎなさんなや」とタキさんが箒を持って出ていった。 「あんたぁ、カズちゃんが来るまではゴキブリも素手で掴んどったでしょうが」  ……とまあ、毎日こんな感じだ。  ここは女性比率が格段に高い。古参のタキさんを中心にして一番若いユウコさんまで、寮に住んでいたり通いで来たりしている。皆、同じ制服の着物を着ているけれど、大きな名札をつけているから俺は迷わずに済んでいる。  新館のスタッフも合わせると結構な人数が勤めていて、あらためて本当なら村瀬さんは大店の若旦那になる人だったんだな、と思った。
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