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―――志崎はじめ、43歳。
向居千奈、23歳。
異色のお笑いコンビ「志向感」が誕生した瞬間である―――
冷静なトーンのナレーションに、わぁっ、と、スタジオが湧く。
20歳離れた男女コンビ。女の方は元アイドル、男の方は元マネージャー。しかもこれで本格漫才師。
個性的な画とぶっ飛んだ経歴は話題を呼び、結果、コンビ結成半年で上手くメディアに引っかかった。
可愛らしい仕草とそれに見合わない超妄想トークで飛び跳ねる向居と、戸惑いながらも紳士的にたしなめる志崎。
真似しようと思ってもできない、二人ならではの漫才が、今、世間に受け入れられている。
だから今日もバラエティ番組の収録に呼ばれ、結成秘話や普段のことなどを延々とインタビューされていた。
自分たちを狙うテレビカメラ。
スタジオの照明。
腕のあるMCとのやり取り。
叶わない夢だと思っていた。
けれど芸人だった頃に帰りたいと焦がれて焦がれて仕方がなかった。
例えば、休日の昼間。
例えば、テレビがCMに入った瞬間。
例えば、風呂に入ろうと脱衣所に向かった時。
日常に潜む心が油断している瞬間に、ふいに思い出して、辛くて辛くて仕方がなかった。
けれど今。
平均気温が下がって、風が冷たくなって、街路樹が色づくころ。
冬の足音が聞こえだす、ちょうど今頃。
オレは向居と賞レースにエントリーして、挑戦している。
バラエティ番組の収録の後は、休む間もなく予選会場に移動した。
向居のおかげで叶った夢が、目の前にある。
舞台の上、スタンドマイク。
マイク越しに見える観客。
また、この風景をみることができるなんて。
客席からの熱い視線。
がんばって、という視線。もしくは、色物が出てくんな邪魔だという視線。
全員、オレたちの味方につけてみせる。
会場に、
「どーも! 志向感です!!」
と、弾けるように向居の声が響く。
客席を突き抜けて、全員の心を撃ち抜くような声。
ことさらに今日はオレのために響いているように感じた。
オレは内心、感極まりながら、スタンドマイクの高さを調節する。
《END》
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