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肩にまでたどり着いたそれは逡巡するように一瞬止まったが、掠めるように首筋を撫でて、離された。
「その、下心は――そりゃあるけど、ちょっとしかないから。……って言っても、安心出来ないか……? でも、本当に、またパンを食べてくれると、嬉しいなってだけで、」
矢代さんが慌てたようにそう言った後、パン屋さんの、大きな木の時計が午後八時のベルを鳴らした。
私の密かなお気入りのその重厚な音を聞いて、矢代さんはしょんぼりとしながらも、そっと身を引いた。
鐘の音と重なるように、矢代さんはもう一度
、もう帰った方が良いね、と言ってくれた。私は機械的に頷いて、オーバーヒートしたままの思考回路を動かし、何とかノブを捻る。
外に出た。
がちゃん、と背後で扉が閉まると、急に恥ずかしさが湧いてくる。外の冷気に触れた途端、顔が熱く、真っ赤になっていることを自覚する。
――迷惑だと、思われてはいないみたいだった。
凄く恥ずかしいが、ポジティブに捉えれば、つまりこれは、また来ても良いという事だろうか?
私は勇気を出して振り向いて、ドアを開けた。
マフラーを口元に上げて、顔を少し隠しながら私は何とか、絞り出すような声で言った。
「……あの。来週、またパンを買いに来ます。それから、やっぱり今日は、ほんとに、ありがとうございました」
心残りがあったせいで、ついお礼の言葉が出てしまった。
私は、変に思われたかもしれない、と恥ずかしさに襲われつつ、目を逸らしながらもう一言付け足した。
「今度も……矢代さんのカレーパン、買いに来ます、ね」
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