(三)

1/3
前へ
/5ページ
次へ

(三)

しばらく店から足が遠のいているうちに、ビルには足場が組まれ、白いネットで覆われていた。工事のお知らせと書かれた看板には、そのビルが耐震問題から取り壊しになったことが記されていた。隣には、ママの達筆による閉店のお知らせが並んで貼り出されていた。 最後に店に行った日には、彼の姿は無かった。お客は私だけで、ママは珍しく孫の話なんてしていた。「絶対に『おばあちゃん』とは呼ばせないのよ。名前で呼ばせてるの」と自慢げに話した。 「孫とデパートに行ったのよ。あたし、エスカレーターとか嫌いよ、地下鉄の階段を駆け上ったわ」 普段は着物に割烹着のママが、菜の花のような黄色いスカートを履き、かろやかに銀座の地下鉄の階段を駆け上る姿が目に浮かんだ。 「店を畳むタイミングがわからなくなっちゃったわ。だってあたし、元気なんだもの」 そんなママでも、立ち退き後に新しい場所で店を開くことはないだろう。     
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加