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「坂本課長っておいくつなんですかー?」
女子社員がさっそく満に話しかけていた。
「二十七です」
「えー! みえなーい! わかーい!」
女子社員の声が鳴り響く。満は女子社員に囲まれ質問攻めにあっていた。童顔だから多少舐められているのかもしれないが。
うちの会社は若い社長に代替わりしてから、やる気があって仕事のできる社員の出世が早くなった。満など入社五年目でもう課長だ。
(早過ぎるだろ!)
俺が犬の動画などを見ている間にこいつは出世を繰り返していたのだ。
新入社員の頃は俺が仕事を教えてやったのに、すぐに俺を追い抜いて行った。
「藤間さん」
急に名前を呼ばれて驚いた。
振り向くと満が自分の席から立ち上がり、俺を見ていた。
「得意先に挨拶回りをしたいんですが案内してくれませんか?」
「は、はい……」
キラキラとした目が俺を射抜くように見ていた。
「やりにくいでしょう? 年下の上司」
俺が運転する社用車の助手席に満が乗っていた。
「い、いえ。別に……」
なんとか平静を保って答えたつもりだったが、満の顔がこちらを向くのが目の端に見えた。
「それが元カレでも?」
「…………」
満が新人の頃、俺は満が可愛くて仕方なくてよく誘って飲みに行った。
そういう関係になったのも最初は酔った勢いからだった。俺たちは恋人になり、同じマンションの同じ階に住み、お互いの家をしょっちゅう行き来するようになった。
それが終わったのは三ヶ月前のことだ。
満が俺の言うことを受け入れてくれなかったから。
「私的な感情は職場には持ち込まないようにしていますので……」
何とかやり返したつもりだったが満に鼻で笑われた。
「職場で犬の動画なんか見てたくせに」
「…………」
三年付き合った仲だ。満は俺のことをよく知っていた。
「そんなんだからお前は出世が出来ないんだよ。少しは悔しがったらどうなんだ?」
久しぶりの満のキツイ言葉に、泣きそうになったがぐっとこらえた。
「藤間さんチョコレート食べます?」
隣の心配顔の山田からチョコレートを一粒渡され受け取った。
「ありがとう」
満は毎日、皆からは見えないところで俺をネチネチとイジメてくるようになった。
満は外面が良いから満の本当の性格は気づかれにくい。たいていみんな満のかわいい外見に騙される。
だがしかし、ただかわいいだけで若くして出世できるわけがない。
三年も付き合った俺だからわかるのだ。
満のことは俺が一番よく知っている。
「藤間さん、ちょっと」
また満に呼ばれ、仕方なしに立ち上がった。
「先輩、頑張って!」
うすうすイジメに気づいている山田から小声で応援されながら俺は坂本課長の元へ向かった。
「お前の身長ってこういう時にしか役立たないよな?」
そこは資料室だった。ファイルがずらりと並ぶ、あまり人の来ない埃っぽい場所だ。
満から上の方にある資料を取ってくれと頼まれた。
こんなの脚立でも使えばいいのに。
それにこの資料が今必要だとも思えない。
「言っとくけど、うちの課だけは社内恋愛禁止だから」
俺から資料を受け取りながら満が言った。
「はっ?」
「だってお前、後輩落とすの得意だろ?」
それはさっきの俺と山田のやり取りを見て言っているんだろうか。
「そう言うお前は先輩に擦り寄るのが得意だけどな」
(……言ってやった!)
心の中でガッツポーズをした。
満が下から俺を睨む。俺は十倍にしてやり返されるのを覚悟した。
「なぁ、戻って来いよ」
しかし返って来たのは意外な言葉だった。
俺は反射的に答えた。
「いやだね」
斜め三十センチの距離で睨み合う。
「お前は三ヶ月くらいで前の男忘れられるタイプじゃないだろ? まだ俺のこと好きなくせに。な? やり直そうぜ?」
満が俺のネクタイを掴んだ。
満も俺の性格をよく知っていた。
たしかに簡単には忘れられない。ましてや同じ職場にいては……。
でも今の俺には強力な武器がある!
「……俺、犬飼ったから」
「え?」
「ポテって名前をつけたんだ。黒毛のチワワ。かわいくて堪んないの」
「…………」
「だからもう俺、お前がいなくても平気なんだよ」
愕然とした顔をしている満の手を振り払い、俺は資料室を出た。
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