沈丁花を辿る

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「それなら、裏側だけならどうですか? 表から見えるわけではありませんし、多少、ムラができても修正できます。せっかくいらしたのですし……」  つめ寄り、突き出した手の上にハケと手袋を押し付けると芳瑞はうううっと唸りながらハケと手袋、シューズラック、康宏をぐるぐると見回す。 「そ、それじゃ、あの、裏側をちょこっとだけ。ど、どうぞ、よろしくご指導、ご鞭撻のほどをお願いいたします……」  ついに観念したように目を伏せると芝居がかった動作で大きな体をぺこりと折る。その瞬間、わくわくと気分が上がり、少なからずあった芳瑞に対する抵抗や戸惑いが一気にふっと抜け落ちた。 「分かりました。では、まず、ベランダに出ていただいていいですか?」  袖をまくり、ゴム手袋をつけると康宏は塗料の缶を振り、混ぜ合わせて少量をバケツに移す。芳瑞は言われるままにベランダに出ると康宏に倣ってゴム手袋をはめた。シューズラックを置いた狭いベランダに大きな芳瑞が立つとそれだけでもう立錐の余地はない。康宏は部屋の中から手を伸ばし、バケツを芳瑞の足下に置くと手渡したハケを一旦、引き取り、塗料を含ませた。バケツのへりで削ぐように余分を落とし、再度、差し出すと芳瑞はおっかなびっくり、ハケを持つ。
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